天候にも恵まれて、昨夜は無事に安倍川花火大会が開催されました。

私自身は人混みが苦手なので近寄らないようにしましたが、関係者の方々はお疲れさまでした。予想を超える人出で大変だったのではないかと思います。

 

さて、私がブログを始めた切っ掛けは、「安倍川花火大会は空襲犠牲者の慰霊から始まった」旨の言説は、「誤りである」ということを主張するためでした。

最初の頃のブログはその話題ばかりでしたが、実は昨年の安倍川花火大会が終わった後に、花火大会本部と静岡新聞社に宛てて、私の考えをまとめた報告書を手渡しました。

 

そのことがあったからか、今年に関しては由来としての「空襲犠牲者慰霊説」は大会本部・静岡新聞社ともに主張しなくなりましたね。今年の花火大会に関しては(「慰霊」という点について見れば)、昭和28年の第1回花火大会の慰霊の対象は「戦没者」だったという(大筋において)正しい認識に落ち着いたのではないかと思います。

そのことは評価したいと思います(笑)

 

ここで私の主張を振り返っておくと、

①花火大会の趣旨は時代によって移り変わっている(変遷している)

②昭和28年の第1回花火大会の趣旨は「慰霊」であったが、その対象者は空襲犠牲者ではなく、戦死者(本来の意味でいうところの戦没者)だった

③大会本部自身による第5回花火大会(昭和33年)までの初期の花火大会の説明は、いろいろな経緯がゴチャ混ぜとなっており、結果としてデタラメなものになっている

 

まぁ、他にも「大正時代に始まった安倍川花火大会」についてチョコチョコと認識がおかしい、とか、「復興」や「発展」を昭和28年の花火大会の趣旨の一つに掲げるのは疑問がある、とか、今まで散々間違った認識を紹介してきたことの影響がいたるところに出ている、とか、細かなことを挙げるとキリがないのですけれど……。

 

もっとも、過去の静岡新聞の記事を見ると、「戦没者」の中に「空襲犠牲者」も含めている記事が散見される(たとえば、平成15年8月13日朝刊19面、平成17年7月29日夕刊2面など)ので、静岡新聞社がいう「戦没者」には「空襲犠牲者」も含まれているのかもしれませんね。

 

大筋においては正しい方向に向かっているのではないかと思いますが、ただ、私としては今年の花火大会についても不満はあります。

昭和28年の花火大会の趣旨が「戦没者の慰霊」にあったとした点については評価しますけれど、それでは「空襲犠牲者の慰霊」はどこへ行ってしまったのか。

2016年の花火大会(第63回)では1発めの花火が打ち上げられる前に、静岡新聞社が音頭を取って平和のための黙祷の時間が設けられ、翌2017年(第64回)にも「静岡大空襲の犠牲者を慰霊する黙とう」(静岡新聞7月30日35面)が行われました。

それから2018年から2021年までは花火大会自体が中止となってしまいましたが、「あの黙祷」はどこへ行ってしまったのか。

今年、代わりに設けられたのは「ディズニーのドローンショー」です。

 

私の主張は、「趣旨は変遷している」というもので、変遷という事実自体を否定するものではありません。

当初は「戦没者の慰霊」として始まったものが、「空襲犠牲者の慰霊」として受け入れられるようになった。それでいいんじゃないかと思っています(私の主張は、「第1回から空襲犠牲者の慰霊が目的だった」という説明は間違っているのではないか、という点にあるに過ぎません)。

そうすると、「空襲犠牲者の慰霊」という趣旨はどこへ行ってしまったのか。それが気になります。

 

それもこれも、元を糺せば大会本部も静岡新聞も、自らの説明を明示的に訂正しないからではないかと思いますが、そのことの影響はあちこちに出てきています。

もしかしたら、大会本部・静岡新聞社はこのまま放置して、なかったことにしようとしているのではないかとも思えるんですけれど、それではもはや済まない段階に来ちゃっているのではないかと思いますね。

 

そこで次回ブログでは、大会本部や静岡新聞が今まで散々間違った事実認識を振り撒いてきたことの影響をモロに受けている、ウィキペディアによる「安倍川花火大会」の説明を批判したいと思います。