久しぶりにブログを書きます。
とはいっても、ちょっと思いついたことを書き綴るだけです。
なので、あんまり内容については真面目に受け取らないでください。
さて、皆さんご承知の通り、「魏志倭人伝」(正式名称は違うらしいのですが、伝わればいいと思っているのでこれでいきます)には女王・卑弥呼が治めたという邪馬台国に関する記述があります。
また、この邪馬台国の存在した場所をめぐっては、大和説や九州説など、様々な説が唱えられています。
ちなみに、私が面白いと思ったのは「ジャワ島説」。その名の通り、邪馬台国は日本国内にあったのではなく、ジャワ島にあったという説です。これは、内田吟風さんという方がかつて唱えた説なのだそうですけれど、私自身、てっきり邪馬台国は日本に決まっているだろうという先入観にとらわれていて、海外までは思いが至らなかったんですよね。なので、意外性があって面白かったです。それに、理由も意外と説得力があって、もしかしたら本当にジャワ島なのかもしれない……と思いました。
ちなみに、私が「ジャワ島説」の存在を知ったのは、たまたま図書館で手に取った本、『珍説・奇説の邪馬台国』(岩田一平・2000年)を通してでした。興味をお持ちの方は是非、読んでみてください。
ところで、邪馬台国の所在をめぐっては、静岡にあったという説を唱えている人もいます。これも市立図書館にあった本ですけれど、『邪馬台国 大和説、九州説が成り立たない理由 他』(肥田政彦・1982年)という本で紹介されていました。
ここからようやく本題に入りますが、肥田さんが唱える静岡説の理由が面白かった。
肥田さんは、邪馬台国=静岡説を説くにあたり、いくつか理由を挙げていますけれど、一番に上げるのが「こびとが住んでいる島国(侏儒の国)」の存在です。
私自身、肥田さんの本を読んで初めて知ったのですけれど、「魏志倭人伝」によると、邪馬台国の南南東210キロメートルほどの海中には、「こびとの住んでいる島国」があったとな。
ん?「こびとの住む島国」?そんな場所あるの?そう思いますよね。
しかし、「こびとの住んでいる島国」はあったんです。そして、それこそが邪馬台国の場所を示すヒント(というか答え?)である。肥田さんはそう説きます。
では、「こびとの住む島国」とは、具体的にどこのことなのか?肥田さんはいいます。それは「八丈島」である、と。
そうすると、「こびとの住む島国」の位置からして、邪馬台国は結局、静岡県以外にはありえない。大和説も九州説も、「こびとの住む島国」を無視したものであって、砂上の楼閣説だ!
肥田さんは、そんな感じのことを説いています(詳しくは肥田さん自身が書いたものをお読みください)。
これもなかなか刺激的な説で面白いですね。
肥田さんの話は面白かったんですけれど、それはそれとして、「こびとの住む島国(侏儒の国)」というのを初めて目にした時に、私の頭に真っ先に思い浮かんだのは「フローレス島」と「フローレス原人」のことでした。
ご存知の方も多いと思いますけれど、インドネシアのフローレス島には、5万年ほど前まで、ホモ・サピエンスとは別種の人類であるホモ・フローレシエンシスが存在し、その外見上の特徴としてよく挙げられるのが、身長が低かったことだといわれています。
そして現地には現在も、「小人(こびと)伝説」があるとかないとか……。
つまり、「こびと」というのは「別種の人類」レベルの「こびと」ではないか。私はそう思いました(実は最近、高野和明が書いた小説『ジェノサイド』を久しぶりに読み直したので、その影響を多少受けています)。
さて、「こびとが住んでいる島国」がインドネシアのフローレス島だとしたら、肝心の邪馬台国はどこにあったのか。フローレス島から北北西に210キロメートルの位置にあるのは、「ジャワ島」です(地図で見た感じ、正確には300キロメートルくらいありそうですけれど)。
つまり、邪馬台国はジャワ島だったのではないだろうか……。「こびとが住んでいる島国」がそのことを間接的に指し示しているのではないだろうか……。
そんな感じで、肥田さんの本を読みながら「ジャワ島説」について思いをはせた一日でした。
(ちなみに、肥田さん自身は上記著書の中で、気候・風習を理由に、「ジャワ島説」を「珍説」・「暴説」だと主張しています(笑))
古代史はわからないことが多い分、ロマンがありますね。
私が生きている内に、邪馬台国がどこにあったのかが判明することを願っています。