1月は行事がいっぱいだったけど、2月のバレンタインは考査には出ないからと少し気楽になった瞬間に節分を思い出した皆さま、ご機嫌いかがですか。

 

小学校受験をすると決めてから全ての行事に全力投球、具体物を買って、絵を描いて、と行事を楽しむ余裕もなく「行事をその記憶に確実に残す」ことに血眼になって暮らしてきましたが、

2月は合同説明会や学校説明会、お教室独自の学校分析会などが始まるので、そのスケジュール管理に追われていたような気がします。

 

そしてお教室では、年中のころには言われなかったようなご指導を先生から頂くことも増えてくるかと思います。

 

私が今でも忘れられないのは、「志望校が決まっている方は、過去の願書のフォーマットを使って書いてみましょう」という言葉。

 

幼児教室にもよるかと思いますが、じりじりと願書の波が近づいてくるころです。

 

 

私の記憶が正しければ、つい先日新年長になったばかりだ。

 

「志望校が決まっている方は、過去の願書のフォーマットを使って書いてみましょう」

 

「注文が決まった方はこちらへ」くらいの勢いでそう言われたが、その内容は果てしなく重たいことを私は知っている。

 

 

「例年、志望校に愛が強い親御さんは春までに第一稿を提出されます。

その方々はほとんど皆さんが合格されています」

 

 

さらに追い打ちをかける先生の言葉に胸がドキリと高鳴る。

小学校受験ではこの「愛」という実態の見えない曖昧な言葉がさも共通語のように流通している。

 

そこに愛はあるのかい?と聞かれたら、

もちろんひとつ屋根の下の小雪のごとく少し下がり目でなるべく圧力の無い顔で全力で頷ける。

しかし「他者の学校に対する愛」を引き合いに出されると、妙な焦りしか出てこなくなる。

その愛は私のそれとは全く比較対象にならないのに。

 

慌ててあたりを見回す。周りのお母さま方はさも当然といった様子でその言葉をノートに書きこんでいる。

 

先生、年中のときは「いいですね」「お母さまも頑張っていますね」って、笑ってくださっていたじゃないですかー 人が変わってしまったのですかー

 

そう言って足元にしがみついて泣きつきたい気持ちが募ってきたが、すぐにその足で本屋へと急ぐ。

 

あった、あった。狙いを定めて中身を確認せずに「願書の書き方」をむんずとつかんでレジへと急ぐ。

小受の道を歩いていた頃の私は「中身も値段も見ないでとりあえず買う」という、福沢諭吉を手裏剣投げのごとく放出する暴挙をはたらいていた。

これは「今買わないと誰かに買われてしまう」「買えば安心」という一種の強迫観念のようなものだったと今になって思う。

最終的には学校の席の争奪戦を私は行うのだ。取られてはならぬ。

その意識が全ての行動においてこのような「出会って3秒で購入」に結びついていた。

 

さて本を購入した私はもう半分は願書は書けたようなものだと意気揚々と帰宅し、子どもが寝静まった後に本を開く。

 

「御校の教育に感銘を受け」

「御校の教育に共感し」

 

「全米が震撼」「全米が泣いた」と張り合えるくらい願書は共感し、感銘を受けている。

 

その文字の多さに震撼し、文章量の多さに泣いたのは私だ。

 

そしていわゆる願書のエピソードと言われる部分に至っては

富士山に登りがちだし、縄跳びを頑張って練習しがちだ。

 

どれもこれも素晴らしい文章なのだけれど、いっこうに頭に入ってこない。

 

ならば…と1枚の紙を取り出し突然書き始めるも、一文字も書けないどころか頭には何も浮かんでこない。

 

共感と感銘を一瞬でも笑った自分にセルフ頭突きを食らわせたい。

共感と感銘ができるくらいに学校のこと、家庭のことを理解しているのだ。

私は全くそれができないということは、理解が足りないということか…。

 

そのままその本を閉じ、すぐに向かうは学校のホームページ。

学校の方針が書かれているページはもちろんのこと、学校が発行しているおたよりを全てプリントアウトするという行動に出た。

この頃は何かをプリントしていると、「なんだか分からないけれどとりあえず頑張っている感」が出てくるミラクルに罹っていて、暇さえあれば印刷、悩んだら印刷、気持ちを落ち着かせるために印刷をしていた。

 

大丈夫。我が家のプリンターはBrotherのアイツだ。

アイツならどんな大量のプリントでもシュワンッと出してくれる。とんだ手腕家かよってね。

深夜になるとどうでもいいギャグばかり浮かんでくるのが中年の禁断症状だ。

 

大量の山になったプリントを毎日1枚を目標に目を通すことにし、早速「お便り読み」の日々が始まった。

学校のお便りは児童の様子や行事の報告、給食について、ICTなど新たな教育への取り組みを発表しているものなど様々なものがある。

 

しばらく読み進めていくと、そこで頻繁に使われる単語や文章から、「繰り返し何度も言いたいこと」つまりは「学校が大切にしていること」がにじみ出ていることが分かった。

 

 

「体を鍛える」学校であれば、普段の体育の様子やそれ以外でも身体を動かすことの大切さが繰り返し書かれている

 

「奉仕の精神」を育成する学校であれば、ボランティア、チャリティ活動や世界の貧困を考える学びから得てほしいことが書いてある

 

「実学主義」を掲げている学校であれば、授業で触れた実物の紹介を多めに記載しているし、場合によってはその経験から何を学んでほしいかまで細かく書いてある

 

「規律を大切」にしている学校であれば、日々の持ち物準備を子ども自身に必ずさせて自覚を持たせること、親が責任をもって最終チェックすることなど、子と親の規律を明示している

 

それ以外でも自分なりにカテゴライズしてみると、まだまだたくさん見えてくるものがある。

 

翌朝早速「おぼろげながら浮かんできたんです」と夫にプレゼンしてみたが、「小泉進次郎か」と一蹴された。

それでも負けじと「シルエットが浮かんできたんです」と言い返してみたが、いま思うとシルエットで良かったのだ。なぜならきっとこの答えは100人いたら100通りの分析結果があり、明確な答えなど無いから。

あくまで学校理解をするための私独自の手法であり、そのキーワードが我が家に合っているかどうか確かめるためのツールだと思うようにした。

 

そうやってやっと進次郎レベルまで達した母。

しかしこの後「我が家とは何か」というこれ以上ない哲学にぶちあたるとは思いもしなかった。

 

▼参考にした本(文章構成が勉強になりました)