連日の考査、しかも1日2回戦。

それが終わったら公園で元気に遊んでいる我が子を見て

尊敬するとともに己の衰えを感じている皆さま、ご機嫌いかがですか。

 

中年の1週間はヤングの1日。

中年は疲れもストレスもずっと引きずってしまうけれど、

ことヤングの皆さんにおかれましては一瞬で切替えができることってたくさんあります。

 

これからチラホラと桜の開花情報が耳に目に、入って来てしまうことがあるかと思います。

嫌なことからは逃げることが賢いこと、時には自分を守ることになることもあります。

華麗なるスルーができることを祈っています。

 

 

華麗なるスルーで思い出したが、お受験には必ずと言っていいほどに現れる「クラッシャー」と言われる子たち。

 

我が子がちょっかいを出されたら、いきなり叩かれたら、一緒に遊んじゃおうよと言われたら。

 

行動観察のクラスでそれなりに対応の練習はしているものの、

そのクラスにいる子たちはだいたい同じメンバーだから対応できる

当日は予想の斜め上を行くクラッシャーが現れてしまうのも事実だと思います。

 

 

 

実際に我が子は村上ショージのごとく、ウェルカム腕噛む、と二の腕を噛まれたし

考査の終わりに並びながら保護者待機室に戻るはずが、

KARAのごとくジャンピンジャンピンジャンピンなうと帰ってきたこともある。

とても楽しい子で、一緒に踊ろうよと言われたらしい。

 

当然、母の記憶だって、ジャンピン。

記憶はどうしてジャンプ、ジャンプ、と二日酔いの朝に歌っていたあの頃が思い出される。

もう忘れたい、無かったことにしたいのだ。

 

 

私は嫌なことがあったら、笑い話に変える癖がある。

そうすることで、まあいっかと自分で消化できるようになるからだ。

でも本当は嫌な人がいても真っ向から戦うことはできない。

それこそ華麗なるスルーをすれば良いのだけれど、それすら怖くてできない。

自分が道化師のようになり、その場をやり過ごすことしかできないのだ。

 

そう思うと、中年の私だってそうなのだから、

きっと若いその子たちは発達どうこうではなく

その子なりにこの状況を理解して緊張しているがゆえにふざけるしかなかったのかもしれないと思えるようになった。

 

が、いざ考査の場で我が子がその子にクラッシュ行為をされたら、

私は黙ってはいられないだろうし、驚愕する。

場合によってはデスノート行きだ。

 

 

そういえば考査でこんなことがあった。

 

いざこれから東京校へ出陣するとき、

我が子が母(私)の方を向いて手を振って歩いていたら、

前に並んでいた子の背中に結構な勢いでぶつかったことがある。

 

我が子はとっさにごめんねと声をかけ、その後頭を押さえて痛がっていたが、

前にいた子(Aさん)は微動だにしない…!

 

 

この子は…地蔵か…!

 

 

それとも我が子はそよ風のような勢いでぶつかったのだろうか。

まるでそこに我が子は存在しないかのような扱いをしていたAさん

 

初めてここでクラッシャー対策を完全装備している子どもに出会った。

 

 

 

私のからだの後ろで騒がないでください

そこに私はいません 混じってなんていません

 

 

 

千の風になってのごとくどっしりとした安定感があるお子さまだ。

もはや子ども同士の謝罪の言葉にすら振り向かない。

 

そこで私は学んだ。

この状況における正解は「完全スルー」なのだろうか。

 

 

現世で完全スルーをする強さがない私が言うのもおこがましいが、

それが小受においては正解なのだろうか。

 

クラッシャーにもいろいろな種類があって、

それぞれに対応できるのが考査における「正解」なのかもしれない。

 

一貫して無視もあり、場が和む言葉をかけるのもあり、

一致団結に向かえる言葉をかけられる子どもだって

1つのクラス」を作ることを考えたら全て正解なのではないだろうか。

 

だから正解は完全スルーだけではないのかもしれないと思う。

その場の状況によると思いたい。

 

 

そうだ、最後に。

 

考査の内容をお教室へフィードバックしている方へ。

 

心身共にヘトヘトの状態でお教室へ出向かいお話ししてくださる方を

心から素晴らしいと私は思います。

考査直後の子ども話はこれ以上ない貴重な機会で

それは後世へ繋ぐことができる唯一の手段だし、

お教室への感謝の気持ちを表すお母さまのお気持ちにひれ伏します

正直お母さまは「クッソ・疲れてる」と言いたいのかなと推察します。

 

 

我が家は考査の後に母が疲れ果ててしまって、結局お教室には行けず、

電話で対応させていただきました。

 

考査内容を頑張って話す子ども。

「え?」と聞き返す先生。

もしかしたらうちの子、間違えたのかな・・・!?

 

もうそれを聞くたびに

ザワワ…ザワワ…そこに私はいません、合格だって思えません。

森山良子と秋川雅史のスペシャルコラボ。

正直言って希望は持てなくなったし、苦しかったです。

 

 

でも、中年の1週間は、ヤングの1日。

ヤングはもう明日へ向かっています。

だから覚えていないことばかりです。

 

そこでショックを受ける必要はないと思います。

正解は永遠の謎なのかもしれないです。こと小受においては。

 

親の想像を超えるまさかだってあります。

謎は謎のままでいいのかなとも、思います。

 

 

 

だって中年の私は、ポリンキーの三角形の秘密だって結局いまでも教えてもらっていないのだから。