どこからともなく漂う金木犀の香りに胸がぎゅっとする気持ちになる皆さま、

ご機嫌いかがですか。

 

金木犀はなぜあんなにムーンな気持ちはおセンチにさせるのだろうか。

甘くて人を惹きつける香り、けれどもどこにその花がいるのか見つけられないその儚さからだろうか。

 

金木犀の花言葉は、「初恋」だそうだ。

あぁそうか、あの思い出がそうさせる…と言いたいところだが、

初恋とはいつだったか、昨日の夕飯も思い出せなくなってきている中年には

金木犀と初恋の関連性は見いだせなかった。

 

思い出せたのは、ただひとつ。

幼稚園のころ、金木犀を持って帰って香りを堪能したかったので、

落ちている金木犀を集めてハンカチにたくさん入れて帰ったところ

ハンカチがオレンジ色に染まってしまった上に、

金木犀の香りなんて飛んでしまっていて

残ったのは汚くなったお気に入りのハンカチだけだった、というあの記憶。

 

 

金木犀をハンカチに包んでみな。 飛ぶぞ。

 

 

どこぞのエセ医者風のWEB広告のように、

子ども達に「金木犀はハンカチに包んだら香りが飛ぶし、色が取れない」

今でもアラートを出してしまうくらい強烈な思い出だ。

 

 

そこに数年前の秋の小学校受験という思い出が重なって余計にムーンな気持ちはおセンチになれるのだと思う。

 

なお、私はセーラーマーズ派だ。

 

セーラームーンの「月に代わっておしおきよ!」ではなく、

「火星に代わってせっかんよ!」という何とも狂気に満ちた放送禁止用語を堂々と放つところが痺れるのだ。

 

 

さて、ただでさえセンチメンタルになるのに、この時期は何かにつけて「残り1か月」という枕詞がついてくる。

まだ年末ではないのに「残すところ」「あと〇日」とか言われると、

焦りが倍増していくのだ。

 

我が家はここからはペーパーはタイムを計って進めること、

メリハリをつけられるようになることを目標にしていた。

 

「やめましょう」と言われるまで、鉛筆を置かない

「やめましょう」と言われたら、すぐに鉛筆を置く

 

子どもの気持ちになったら、そのくらい自由にさせてくれよと言いたくもなるし

実は私はテスト用紙が回収されにくるまで、マーク―シートを適当でいいからできる限り塗りつぶす往生際の悪い人間だ

 

残るは考査の鍵を握る行動観察をどうするかが課題だ。

 

直前講習では行動観察を多めに入れてみたものの、だいたい同じようなメンバーが受講しにくるので、いわゆる「出来上がっている子」がいて、いつも持っていかれてしまう。

 

しかし行動観察において「出来上がっている」とは何だろうと、今でも疑問に思う。

いわゆるリーダータイプだろうか。でもそれは正解なのかわからない。

 

 

お題は、「みんなで遊ぶおもちゃを決めましょう」。

 

 

机の上には、バスケ、バレー、サッカーの小さなゲーム機や、トランプ、

そして最大のドボンポイントであるプラレールが置いてある。

 

 

「出来上がっている子」は、先生の開始の合図とともにこう始めるのが常だ。

 

「一緒に決めよう~」

 

「君は何がしたい?」「君は?」「君は?」「君はなに?」

 

いわゆる「リーダー」だ。

 

そして各々が「バレー」「サッカー」などやりたいゲームをその子に伝えていく。

 

全員の意見を聞き終わり、リーダーは手を挙げる。

 

 

「せんせー、決まりました! バスケットボールです」

 

残念ながらバスケと答えたのは1名もいない。バスケは君がやりたいことだ。

しかしリーダーは「聞いた」ことは聞いたのだ。

間違ったことはしていないが、「聞いている」だけで一切心には響いていないパターンだ。

 

 

 

さらにこんなパターンもある。

 

 

お題は「カプラでみんなで街を作りましょう」。

 

子どもあるあるだが、それを聞いた瞬間にカプラを手にいっぱいもって各々が好きなものを作り始めてしまう。

 

橋があったり、海の中に公園があったりなかなかカオスな街ができてくる。

 

やがてぶち当たる壁は「材料が足りない」問題。

カプラが足りなくなり、周りを見渡すと、人一倍カプラを抱えて

せっせと何か高いものを作っている子がいる

 

「かして~」 「いっしょにつくろう~」

 

先生に教えられた言葉を勇気を振り絞って話す子どもたち。

 

するとその高い何かを建設中の主はギロリと睨みをきかせる。

 

 

「いまタワマンつくってるの!」

 

 

これは失礼なことをした。港区のタワマンを建設中の施工主だったのか。

プチ清水建設だろうか。

 

何度も「貸してほしい」と食い下がる他の子ども達。

イラっとしたプチ清水建設はついには木材(カプラ)を投げた。

 

 

安全性を誇る日本においてタワマンが建設途中で崩壊した歴史的瞬間である。

 

 

このようなことは行動観察中には何度も遭遇したが、我が子は毎回動揺をしてしまい

固まってしまうだけの時間が続いた。

 

これはお相手の子どもが悪いとは言えないと私は思っている。

むしろその子だって、そうするよう訓練されてしまったのかもしれない。

 

 

ポケモンでいうメガガルーラだ。

 

メガガルーラの特長は、

 

「メガガルーラがつよいりゆうは こどものせいちょうに はりきっている ママのせい」(『ポケットモンスター サン』より)

 

まさにメガガルーラではないか。

ママやお教室の先生という大人の期待を一気に背負ってしまい、

そのような行動に出ているのだと私は思った。

 

そのような子はこの少ない教室にも一定数いるのだから、当日にはきっといる。

 

メガガルーラ対策をどうしようかと考えた1か月だった。

 

ポケモン流でいうと、「こうげき」「のうりょく」「すばやさ」あたりがポイントとなる。

 

圧倒的にメガガルーラは「こうげき」が強いので、

残るは「素早く切り替える」力が必要なのではと私は考えた。

 

 

 

「自分がやられて嫌なことはやるのはやめなさい」

 

 

私は今でも小学生の子ども達に言ってしまうことがある。

恐らくそれは一般的な教えで、真っ当な考えなのだと思っている。

 

 

けれど自分に置き換えてよく考えたら、

自分は良くても相手は良くない、

相手は良くても自分は良くないパターンがこの世の中には存在する

 

例えば私は酔っぱらってたくさんしゃべるのが好きだが、

飲まないひとにとっては迷惑極まりない。

 

例えば健康意識が高くて野菜を食べたりマラソンをするのが好きな人がいたとして、

私は揚げ物を代表とする茶色だらけの食べ物が好きだし、

人生においていかに歩かないで済むかを計算して生きているので、

もし動く歩道があったら飛び乗るタイプだ。

 

 

子どもに置き換えたら、公園でもブランコの順番待ちがいるから早くしようねと言っても

己はいまブランコを堪能したいのじゃと言い返したくもなるだろう

 

「自分がやられて嫌なことはしてはいけない」と常套句のように言ってしまうが

結局それでは自分本位となってしまうのだと思う。

 

 

ではどうしたらいいのか。

 

それは、きっと「相手が良いと思うこと」をやればよいのだと私は思う。

 

具体的には、小受の行動観察においては「行動」だけではなく「発言」も大切なので                                                                                                                

相手が喜ぶような発言が出てくると良いのではと考えた。

 

タワマン崩壊と同時に己の目標も崩れ落ちてしまった子に対し

「‘建設中’という場所ができたね!あとは何を作ろうか?」

と切り返すことや、

もしタワマンにこだわるなら、もう少し低層のマンションの魅力もプレゼンしてみたらどうだろう

 

でもきっとそれは子どもの1対1ではなかなか前に進まないと思う

どうしても月齢や、言語能力の発達によって言い負かされてしまうこともあり得るからだ。

 

 

そんなときは、お友達と結束するのだ。

大人流にいうと「多勢に無勢」。

 

こう表現したらちょっと嫌味が出てしまうが、

中年の私だってコナンと金田一少年と明智五郎に囲まれたら何も言えなくなる。

それと同じ状況だ。

 

みんなで意見を合わせて攻撃するのではなく、

もっとこうしたら良くなりそうだと話してみたらどうか、その役割になってみたらどうか、と子どもに提案をしてみた。

 

面と向かって正論をかざせない我が子には、仲間の存在は心強いはずだ。

しかも内容がもっと前向きな提案であれば、話している我が子も苦しくはならないかもしれないと思った。

 

そしてなによりも、この子どもにとって「面倒くさい人」を感知する能力が

これから1か月で必要だと感じた。

 

特に国立はいわゆる訓練された子や、リーダータイプはそこまでいなく

いわゆるクラッシャーと呼ばれる、中年もびっくりする発言をする子が出てくる。

 

でもその「ちょっと面倒かもしれない」を感知する能力を得て、

まずはここを乗り越えれば、きっと小学校生活だけではなく、

社会人になったときにも役に立つと私は思っている。

 

 

 

「相手が喜ぶような発言に変えて話す」という点については、

そういえば、1つ思い出したことがある。

 

東京校、しかも第一志望の考査の日に控室で準備をしているときに子どもが鼻血を出した。

 

11月は寒いのだが、コロナ禍もあり、窓は全開。

学校は気を遣ってくださり、暖房をマックスにしている。非常に乾燥しているのだ。

 

我が子は乾燥によって鼻血が出やすい体質だった。

 

 

待機中に鼻血を出す子ども。すかさず母はトイレへ連れ込む。

 

「さぁこれを飲め」

 

こちらが良かれと思って「鼻血を止める風邪薬だよ」というと、猛烈に嫌がられるので

「お友達と楽しく遊べるようになるドリンクだ」と

子どもとってメリットがあるように伝えたら

すんなり飲んでくれて、そのまま出陣していった。

 

 

私ならまずそれは合法なのかと問いたくなるが、そこはまだまだ可愛い年長児。

信じてくれてありがとう。

 

 

 

あいてにとって うれしいことばに へんかんする のうりょくを

ははは ゲットした。