どこからともなく漂う金木犀の香りに胸がぎゅっとする気持ちにな
ご機嫌いかがですか。
金木犀はなぜあんなにムーンな気持ちはおセンチにさせるのだろう
甘くて人を惹きつける香り、
金木犀の花言葉は、「初恋」だそうだ。
あぁそうか、あの思い出がそうさせる…と言いたいところだが、
初恋とはいつだったか、
金木犀と初
思い出せたのは、ただひとつ。
幼稚園のころ、金木犀を持って帰って香りを堪能したかったので、
ハンカチがオレンジ色に染まってしまった上に、
残ったのは汚くなったお気に入りのハンカチだけだった、
金木犀をハンカチに包んでみな。 飛ぶぞ。
どこぞのエセ医者風のWEB広告のように、
子ども達に「
今でもアラートを出してしまうくらい強烈な思い出だ。
そこに数年前の秋の小学校受験という思い出が重なって余計にムー
なお、私はセーラーマーズ派だ。
セーラームーンの「月に代わっておしおきよ!」ではなく、
「火星に代わってせっかんよ!」
さて、ただでさえセンチメンタルになるのに、
まだ年末ではないのに「残すところ」「あと〇日」
焦りが倍増していくのだ。
我が家はここからはペーパーはタイムを計って進めること、
メリハリをつけられるようになることを目標にしていた。
「やめましょう」と言われるまで、鉛筆を置かない
「やめましょう」と言われたら、すぐに鉛筆を置く
子どもの気持ちになったら、
実は私はテスト用紙が回収されにくるまで、マーク―
残るは考査の鍵を握る行動観察をどうするかが課題だ。
直前講習では行動観察を多めに入れてみたものの、
しかし行動観察において「出来上がっている」とは何だろうと、
いわゆるリーダータイプだろうか。
お題は、「みんなで遊ぶおもちゃを決めましょう」。
机の上には、バスケ、バレー、サッカーの小さなゲーム機や、
「出来上がっている子」は、
「一緒に決めよう~」
「君は何がしたい?」「君は?」「君は?」「君はなに?」
いわゆる「リーダー」だ。
そして各々が「バレー」「サッカー」
全員の意見を聞き終わり、リーダーは手を挙げる。
「せんせー、決まりました! バスケットボールです」
残念ながらバスケと答えたのは1名もいない。バスケは君がやりたいことだ。
しかしリーダーは「聞いた」ことは聞いたのだ。
間違ったことはしていないが、「聞いている」だけで一切心には響いていないパターンだ。
さらにこんなパターンもある。
お題は「カプラでみんなで街を作りましょう」。
子どもあるあるだが、
橋があったり、
やがてぶち当たる壁は「材料が足りない」問題。
カプラが足りなくなり、周りを見渡すと、
せっせと何か高いものを作っている子がいる
「かして~」 「いっしょにつくろう~」
先生に教えられた言葉を勇気を振り絞って話す子どもたち。
するとその高い何かを建設中の主はギロリと睨みをきかせる。
「いまタワマンつくってるの!」
これは失礼なことをした。港区のタワマンを建設中の施工主だったのか。
プチ清水建設だろうか。
何度も「貸してほしい」と食い下がる他の子ども達。
イラっとしたプチ清水建設はついには木材(カプラ)を投げた。
安全性を誇る日本においてタワマンが建設途中で崩壊した歴史的瞬
このようなことは行動観察中には何度も遭遇したが、
固まってしまうだけの時間が続いた。
これはお相手の子どもが悪いとは言えないと私は思っている。
むしろその子だって、
ポケモンでいうメガガルーラだ。
メガガルーラの特長は、
「メガガルーラがつよいりゆうは こどものせいちょうに はりきっている ママのせい」(『ポケットモンスター サン』より)
まさにメガガルーラではないか。
そのような子はこの少ない教室にも一定数いるのだから、
メガガルーラ対策をどうしようかと考えた1か月だった。
ポケモン流でいうと、「こうげき」「のうりょく」「すばやさ」
圧倒的にメガガルーラは「こうげき」が強いので、
残るは「
「自分がやられて嫌なことはやるのはやめなさい」
私は今でも小学生の子ども達に言ってしまうことがある。
恐らくそれは一般的な教えで、真っ当な考えなのだと思っている。
けれど自分に置き換えてよく考えたら、
自分は良くても相手は良くない、
例えば私は酔っぱらってたくさんしゃべるのが好きだが、
例えば健康意識が高くて野菜を食べたりマラソンをするのが好きな
私は揚げ物を代表とする茶色だらけの食べ物が好きだし、
子どもに置き換えたら、
己はいまブランコを堪能したいのじゃと言い返したくもなるだろう
「自分がやられて嫌なことはしてはいけない」
結局それでは自分本位となってしまうのだと思う。
ではどうしたらいいのか。
それは、
具体的には、小受の行動観察においては「行動」だけではなく「
相手が喜ぶような発言が出てくると良いのではと考えた。
タワマン崩壊と同時に己の目標も崩れ落ちてしまった子に対し
「‘建設中’という場所ができたね!あとは何を作ろうか?」
と切り返すことや、
もしタワマンにこだわるなら、
でもきっとそれは子どもの1対1ではなかなか前に進まないと思う
どうしても月齢や、
そんなときは、お友達と結束するのだ。
大人流にいうと「多勢に無勢」。
こう表現したらちょっと嫌味が出てしまうが、
中年の私だってコナンと金田一少年と明智五郎に囲まれたら何も言
それと同じ状況だ。
みんなで意見を合わせて攻撃するのではなく、
面と向かって正論をかざせない我が子には、
しかも内容がもっと前向きな提案であれば、
そしてなによりも、この子どもにとって「面倒くさい人」
これから1か月で必要だと感じた。
特に国立はいわゆる訓練された子や、
いわゆるクラッシャーと呼ばれる、
でもその「ちょっと面倒かもしれない」を感知する能力を得て、
まずはここを乗り越えれば、きっと小学校生活だけではなく、
「相手が喜ぶような発言に変えて話す」という点については、
そういえば、1つ思い出したことがある。
東京校、
11月は寒いのだが、コロナ禍もあり、窓は全開。
学校は気を遣ってくださり、暖房をマックスにしている。非常に乾燥しているのだ。
我が子は乾燥によって鼻血が出やすい体質だった。
待機中に鼻血を出す子ども。すかさず母はトイレへ連れ込む。
「さぁこれを飲め」
こちらが良かれと思って「鼻血を止める風邪薬だよ」というと、
「お友達と楽しく遊べるようになるドリンクだ」と
子どもとってメリットがあるように伝えたら
すんなり飲んでくれて、そのまま出陣していった。
私ならまずそれは合法なのかと問いたくなるが、
信じてくれてありがとう。
あいてにとって うれしいことばに へんかんする のうりょくを
ははは ゲットした。