ここまで来たらもう心穏やかに暮らしたくて

菩薩の領域を目指しているという皆さま、ご機嫌いかがですか。

 

 

今でも私は菩薩ワインディングロードにハマっています。

何でもないようなことが幸せだったと思うロードじゃない方の

菩薩ロード」を探し続けています。

それはきっと曲がりくねった道の先にあると信じている。

 

 

もうここまで来たら、よろずの神に祈り倒すしか方法はないと思い、

神社や寺はもちろんのこと、「あの人見えるらしいよ」という人や、

「宇宙と繋がるらしいよ」という人に果敢に挑戦しに行っていました。

 

ここまで来ると自分もいよいよか、という気持ちになる。

 

今思えば、そんな時間があったら家の片づけをして、

少しでもペーパーのマウンテンから解放されたほうが

よっぽど心の安定に繋がったと思います。

 

 

しかしそれができない。

傷つきやすい、壊れやすいガラスの中年時代なのです。

 

 

自分から何も言わなくても悩んでいたり暗かったりする心境は

どうしても見破られてしまうようで、

この時期は多種多様な業界の方から声をかけられました。

 

断ろうと思ったけど、「もしかしてこれは神のお告げ…?」

このお誘いについていけばもしかしたら…と思う気持ちがキャントストップ。

 

 

 

小さい頃に大きな病気をしたことのある私。

母のところには「親戚」を名乗るおばさんが昼間によく来ていたことを思い出す。

 

そのおばさんがきたときは、そっとリビングの隅っこに移動して、シルバニアファミリーで遊んでいた。

 

 

「だからね、一度集会に来たら良いと思うの」

 

 

きた、頻出ワード「集会」だ。

 

幼い私はシルバニアファミリーをシルバニアハウスのリビングに全員集合させて

団らんディナーをさせている想像をして遊んでいたが

一同に会したシルバニアファミリーを見た途端にそれが「集会」に見えてきて、

一番末っ子のウサギをベッドへ寝かせた。

急いで長女のウサギもトイレへ移動させた。「寝る前のトイレだよ」と言いながら。

 

 

そんな経験があるので、香ばしい案件には人一倍敏感かと思っていたが

このお受験の波にのまれて完全にレーダーを失っていた。

 

私が挑戦したうちのツワモノ2名を紹介したい。

 

 

【エントリーNo.1】 宇宙と繋がるおじさん

 

指定された場所は、とある地下のお店。だだっ広い空間だ。

真っ暗闇に大量の人がいて、ちんまり座るだけで精一杯。

 

その空間の真ん中で宇宙と繋がるというおじさんが

あおあぁぁぁうぁぁあおー

と叫び(たまにムセる)、クネクネと舞う。

 

その雄叫びをこれまたクネクネしながら吸い込む、迷えるたくさんのお姉さま方。

 

空気の悪さとウイルスが怖くて吸い込めない自分は、黙って目を瞑るだけで精一杯。

 

あれ私、何しに来たっけ、と我が志が迷子になったところで終了した。

 

ちなみに私は宇宙と無事繋がれたらしいが、我が心身の疲労はデフォルトのままだ。

 

 

 

【エントリーナンバー2】 ひたすらげっぷをするおじさん

 

除霊までしてくれると聞き、伺ったはとある一軒家。

けれど私の知りたいことは一貫している。

 

 

「11月、12月のうち、人生で一番ハッピーになることはないですか?」

 

 

かなりのヒントを出した質問だと我ながら思ったが、

回答は「転職を考えるでしょう」だった。

 

ちなみに転職はその時も、後にも先にも考えていない。

 

そしておじさんは私には霊がついているといって、除霊をしてくれた。

その方法が独特で、ひたすらげっぷをかまし続けるという手法だ。

 

ご本人曰く、「入ってきてしまう」から「出している」のだそうだ。

 

そういわれても一般人には「コーラの飲み過ぎか」としか思えない。

 

ビールなら1.5リットル飲めるが、コーラになると全く飲めない私にいわれたくないだろうが、あれは何かしらの炭酸の力が必要だと思う。

 

ちなみに無事除霊ができたらしいが、相変わらず我が疲労はデフォルトのままだった。

 

 

かくして私が出会ったスピリチュアル(と括っていいのか分からないが)おじさんたち。

 

両者に共通していたのは、「直視できない」という事実だけだ。

 

11月の陣についてなんて名言してもらえなかった。

 

 

今思うとなんだったのだ…とは言いたくなるが、それでいいのだ。

 

きっと未来は誰も予想ができないもので、

自分でなんとかつかみ取っていくものなのかもしれないと学んだことは大きかった。

 

 

さてここまでよろずの神に祈り倒していた私だが、

小学校受験では宗教校を受験したことがある。

 

宗派や、その成り立ちなどは万人の名医:Google先生に聞いてみたが、

結局うわべしかわからなかった。

 

 

当然面接ではこう聞かれた。

 

 

「数ある小学校の中で、しかも宗教校である本校を選ばれた理由をお聞かせください」

 

 

挑むは父(無宗教)だ。

 

宗教校だからだろうか、この手の問いだからだろうか、

我が家が受験した宗教校は偶然にも父親にだけ質問された。

 

 

「御校にしかできない教育がァッ、あるからと思ったからです」

 

 

ミスチルでいう「果てしなくゥッ、続くゥ~イノセントワールド~」の

「果てしなくゥッ」の部分のそれにように、1オクターブ上がっている。

 

しかし残念ながらミスチルと違って、上ずっているだけで、その中身は無い。

 

 

「そうですか」

 

 

面接官はにっこりと微笑んで下さり、その面接は終わったが、今になってこう思う。

 

 

心に「宗教」を持っている人は強い。

何か迷ったときなどに、その人のよりどころや生きる指針になるからだ。

 

家庭には、父や母、家族がいるし、子どもにとってはそれがよりどころとなることも多い。

けれど、親だって人間だ。間違いだらけのエブリディだ。

父と母のいうことは恐らく「絶対」に「正しい」とは限らない。

 

けれど、心の中にこれだけは「絶対」だと思える存在があったら、

きっと強くなれるのではないだろうか、と思う。

 

 

我が家は宗教が分からなかった。

それならそれでこれから学ぼうとする姿勢を見せればそれで良かったのでは、

と今更ながらに思う。

 

 

「ゥッ」になってもその先の、家庭の考えを紡ぐことが大切だったのではないだろうか。

経験があるならもちろん、お母さまが話に割って入るくらいで良いのかもしれない。

 

経験があるからこそ、花*花になって

「あーよかったな あなたがいて」「あー良かったな 一緒にいて」を素直に伝えたら、

それで良いのだと思う。

 

面接は状況を伺いすぎていると、いつの間にか終わっていることが多く、

あとでこれも言えば良かったあれも言いたかったと、セルフ頭突きが止まらなくなる。

 

 

 

どうか「ゥッ」に負けないでほしい。

心から祈っています。