名前をつけること


関係性には名前をつけたくない。

その名前に縛られるほど関係性のジャンルは少なくない。

気持ちだって言葉で表現するのには限界がある。

例えばガンはガンと言われるまではその人はガンではない。

医師からガンだと言われて初めてその人はガンになる。

精神障碍もそうだ。

目には見えないので自分が障碍者かどうかなんて分からない。

分からないから不安になる。

andymoriの曲で

「クレイジークレイマー」

という曲があるのだが、その曲の歌詞にはこうある。

「病名でもついたら虐められないし、もう少しは楽なのかな」

そう。

病名が付くことで

「そうか。自分は病気(障碍)だったんだ。

怠けてるわけじゃない。よかった。」

と安心することができる。

と、同時に

「自分は病人(障碍者)なのか・・・。」

と、情けなく恥ずかしくなり落ち込む人も居る。

僕も両方だった。

名前をつけて許されたかったのに、医師から

「障碍者なので普通の仕事はできません。」

と言われたことがショックで、泣きながら家に帰った。

恥ずかしくて情けなかった。

それを言われても何も今までと変わらないのに。

病名をつけられた瞬間、病人になる。

障碍者になる。

それが良いことなのか悪いことなのか誰にも分からない。

自分の意思で病院に行くことを選択したのであれば、せっかくなので良いように捉えたい。

病気、障碍なのだから仕方ない、と。

許されたいから行ったのであれば堂々と許されようじゃないか。

名前なんて曖昧なものなのだ。