樋口了一インタビュー vol.4 | 樋口了一オフィシャルブログ「ポストマンライブ日記」Powered by Ameba

樋口了一インタビュー vol.4

こんにちは。


宣伝マンKです。



いよいよ本日、樋口了一のニューアルバム「了~はじまりの風~」が発売となりました。



僕と樋口さんとの出会いは、「手紙~親愛なる子供たちへ~」という曲からになります。


「手紙」が発売された時、「海に手紙をいれた瓶を流す心境」だった事を思い出します。


その瓶は色々な人のもとに届き、間違いなく今に繋がっています。




皆さんも振り返ってみてください。


すべてが今に繋がっています。


このインタビューは樋口さんの話。


誰しも同じように、そして様々なストーリーがあります。



同じように、皆さんも思い起こしてみてください。



今年の春に僕の母親が癌と診断され、その後の母の日に「手紙」を書こうという嫁のアイディアで、初めて母親に手紙を書きました。





喘息になって有難う。


喘息を治すために水泳をしていなかったら、トライアスロンに出ようなんて思わなかった。




他にもあるんですが、照れくさいのでやめときます。。。



では、インタビューをどうぞ。










■ではここで、少し話を変えます。樋口さんという人を理解というか知る上で、このことにも触れておかなければなりません。樋口さんにとっての「死生感」について話して頂けますか?

僕は子供の時から、人が死ぬ事にすごく興味があった子だったんですよ。ヒーローごっこやっても、死ぬ役やったり。なんだろう「死ぬ」ってということを常に考えていて。


高校の時にそんな哲学書を読み始めて、その事をノートに短く書き留めるようになって。そんなものが何10冊にもなって。だから常に「死」ということを考えていて、それが普通だったんですよね。


曲作りもそう。人はいずれ死ぬんだからこう生きようっていう曲ばかりだったんですよね。恋愛の歌にしてもそうで。


それが真逆に振れて大騒ぎしたからそのこと(死生感の変化)が目立ってますけど、、、。


よく例えにしてるんですが、ずっと弓を反対側にギリギリと張っていたんですよ「人は死んで消滅する」という考え方の方にいたんで。それがある日突然手を離したんですよ。そうしたら、その反対(命は終らない)に勢い良く飛んでいった感じですよね。それが2006年のことです。


■その頃「手紙」の元になる言葉に出会った。全く違う観点から話したいのですが、僕は、この曲になったものを聞いたときに、仕事柄「売れる」と思いました。だから、自分の中に欲が瞬間芽生えたのは紛れもない事実です。

  

でも、そう考えてはいけないのではないか?という葛藤もありました。だから、その自分に芽生えた欲の対極にあるものを見つめる事ができたと思います。


僕は「売れる」ということよりも、この元になる言葉を読んで、音楽家として「これは今まで歌になっていない世界だ」と。


だれもまだアーティストとして歌っていないし、他にないものだと。初めて発見したみたいな。ジャーナリスティックな自分がいましたね。


それと、自分がこの言葉に出会って幸せになったように、きっと聞いた人は同じように幸せになってくれるという「エゴ」と、届けたいというやはり2つの気持ちの抱き合わせでしたね。


たぶん、その「エゴ」がなければ歌にしてなかったんだと思うんですよ。普通に朗読してましたよ。これは「自分が歌にするんだ!」と。


K君が言うように「ロック(錠)した」と。無意識のうちに他の誰もが歌えないようにロックしたのかもしれない。(Kがカラオケで「手紙」を歌った時に「樋口さん、ずるいですよ。これ樋口さんにしか歌えないように鍵かけたでしょ?」と言ったことがあるほど難しい歌と感じた。)


■その後、曲を作るわけですけど、その時はどんな感じでしたか?言葉に引っ張られるような感覚でメロディが出てくるとか、何かありましたか?


絶対苦労すると思ったんですよね。元は散文でしたから。シャンソンみたいにしようかとか、ギター弾きながらボブディランみたいに軽快にしてみようかとか。そうしたら、5分ぐらいの曲になったんですよね。


それで、一回聞きなおして「違う!」と。悪くないけど、もっと言葉に向き合わなきゃって。


で、自分の中では「螺旋状」に盛り上がっていく感じ。言葉の繰り返しなので、循環コードの中で「うわぁー」って螺旋状に舞い上がっていく感じの曲にしようって思ったんですよね。


ということはですね、最初の8小節が出来れば見えるんですよ。それで「年老いた私がある日、今までの私と違っていたとしても、どうかそのままの私を理解して欲しい」という歌詞の部分のメロディが「スルっと」出てきた。まったく作ろうって意識が無い中で。きっと何かを受けたんだと思う。その変えようが無い8小節、メロディだって確信があったので、次のチャプター、次のチャプターって積み上げていく感じで作りました。


■例えばですが、野球のファインプレーとかで「あの1球が捕れたのは、あの1000本ノックのおかげ」みたいな。さっき話していた、プロの世界で始めた頃に、何度も曲をプロの作家さんに直されたという経験が生きているというか。


この「手紙」という曲は「歌詞」の世界がクローズアップされる事が多いですけど、曲として、音楽としてとても優れた曲だと思うんですよ。「売れる」「伝わる」というエッセンスが、しっかりと入っているというか。


だから、「売れる」曲の方法論を確立したプロの方と仕事をできたという経験が、本当に生きてると思うんですよ。よくCMの曲を作る時とかでも「サビに入る前のフックが大事だ」とか。


この「手紙」には「サビ」にあたる部分が無いんですよね。でも、常に「サビの前にはフック」ということでやってきた経験が生きてるからこそ、「♪よろめ~く」という部分なんかはサビにあたるんですよね。だから、生きてるんですよ。本当にデビューしてから曲ということに向き合ってきた結晶みたいなものだと思うんですよね。


もっと言えばね、自分がブラックミュージックが好きで、どこか小難しいその世界を勉強したり、もっと前はフォークソングを聞いていたり。。。そんな事も出てきてるんでしょうね。


■樋口さんに出会った時に、最初に言ったんですけど「手紙は、どこかゆりかごとか、ロッキンチェアーに揺られている感じ」って、人間は生まれてからゆりかごで、晩年はロッキンチェアーで。そんな事も意識はされたんですかね。


「悲しい事ではないんだ」って、2箇所を書き足したでしょ。だから悲しい歌にはしたくなかったんですよ。かといって楽しくて仕方が無いってことでもないし。とにかく「平和」。


だから言われるように「ロッキンチェアー」や「ゆりかご」かもしれない。


黒人音楽の中ではそういう手法もあるんですよね。フィラデルフィアソウルっていうのがあって。循環コードの中で同じフレーズを繰り返していくというような。だから、自分の中にあったそういったブラックミュージックのルーツが顔を出したかもしれないし、フォークソングにもあるようなことが生かされているのかもしれないし。


 ■なるほど。

今だから言えますけど、この曲(CDになっている曲)に収録されている僕の歌って仮歌(レコーディングのガイドにする為に歌う歌)なんですよ。


先にギターのレコーディングをやってて、ヘトヘトでさ。もうその頃から腕が動かしづらかったから。そんな状態で歌を入れたんだけど、それがなんだか力が抜けていい歌が録れたんだよね。


それで、デビューの時にお世話になった東芝の三宅さんに後日聞いてもらったら「樋口がレコーディングした歌の中で1番これがいい」って褒めてくれたんですよ。歌のエキスパートの人が聞いた瞬間そういってくれて。 


だから、このレコーディングの瞬間、何か宿ったのかなって。




(つづく)