奇妙な関係が始まったオイラとN紀。9ヶ月続いた二人の関係だったが、9割方オイラは彼女に振り回されたと言ってもいいだろう。彼女の身の上話を聞いて、それを受け入れた時点で、このようなことになるのは、ある程度予測は出来ていた。経済的にも大きな負担だったし、精神的にも相当神経をすり減らしたのは事実だったが、覚悟の上で受け入れたので、後悔はなかった。
彼女はなかなか壮絶な人生を歩んできた。両親は離婚しN紀はお父さん子だったが、母親に引き取られた。母親は新しい男を作り、N紀と3人で一緒に暮らし始める。中学生になったN紀は、母親の男に性的暴行を受ける。誰にも相談出来ないまま過ごしたが、18歳の頃に母親が気がつく。そこで彼女の母親がとった行動は、自分の男を責めるのではなく、N紀に対する嫉妬によるそれだった。母親はN紀を目の敵にし、家にいるべき場所はなくなった。高校卒業と同時に家を出たが、定職もなく、それ以来友達や付き合った男の家を転々とする生活が4~5年続き、23歳の時に肉体関係と引き換えに、金銭的なサポートをしてくれるパトロンと出会い、2年間は住む場所にも生活にも困らなかったという。しかし、2年でパトロンに捨てられ、その後の2年間は再び、友達や知り合いの家を転々とする生活になったという。
オイラは自分に何が出来るかはわからなかったが、鹿児島に赴任している間だけでも、彼女のサポートをしてやりたかった。何より世の中悪いヤツばかりじゃないということを知って欲しかった。だから、オイラはN紀の身体を求めることもしなかった。パトロンとは違うことをする必要があったからだ。
赴任期間中の経済的サポートだけでは、その後の彼女に無責任だと考えた。彼女の自立支援のための活動をすることにした。ますは住まいだ。N紀はこれまでに部屋を借りた実績がなく、クレジットカードを作ったこともなかった。そのため保証会社が間に入る物件は契約できなかった。オイラは毎週末に、彼女を連れて不動産屋を巡り、大家さんと直接契約出来る物件を探した。
そのような物件はあるにはあるが、マンスリーマンションの契約が終わる、3ヶ月後に空き部屋のでる物件はなかなか見つからなかった。条件に見合う物件があっても、敷金や礼金が異常を高くふっかけられて、契約出来ないケースもあった。
やらなければならないことは、物件探しだけではなかった。N紀はこれまでのトラウマが原因なのか、明らかに精神的に病んでいた。これも専門医に診てもらう必要があった。保険証を持っていないため、保険加入の手続きが必要だ。住民票も実家から移動していないので、その手続きもした。国民健康保険への加入手続きが済んで、精神科への通院を始めた。
オイラの単身赴任期間が終わりに近づいたころ、ようやく彼女の新しい部屋も見つかった。手続きには一緒にいけなかったため、契約に必要なお金を渡した。赴任期間を終えたオイラは地元に帰郷した。その後も鹿児島へはひと月に一度は出張の予定だったため、彼女の新しい生活が軌道に乗るのを見守っていくつもりだった。
出張の時は彼女の部屋に泊めてもらい、ホテル代を節約した。病院にもしっかりと通い続けていて、少しずつではあるが、顔色も表情も明るくなっていた。オイラが出張で来ることを楽しみにしていてくれるようだぅた。4回目の出張の時には、彼女の顔から笑顔も見られるようになった。そしてそのとき初めて男女の関係になった。
オイラは身体目当てのパトロンではないので、男女関係を迫ったことは一度もなかった。もちろん彼女が好きだから、支援をしてきたのほ事実で、N紀からなんでここまでしてくれるのか?と聞かれる度に『好きだから』と答えてきた。4度目の出張の夜、彼女の上手いとは言えない手料理を食べ、オイラは居間でくつろぎ、彼女は流しで洗い物をしていた。出張で疲れていたオイラは、ウトウトしていたのだろう。洗い物を終えた彼女の少し濡れた手で起こされた。
オイラ『冷たっ!なんだよービックリしたー』
N紀『もう寝るの?疲れてしもた?』
オイラ『あ、ゴメン。大丈夫だよ。居眠りしてただけ』
N紀『少し話していい?』
彼女はオイラの答えを聞く前に話し始めた。先月までまだオイラのことを信用してなかったこと、これまでのことを凄く感謝していること、何故オイラが既婚者なのかと神様を恨んだこと、世の中には悪い人ばかりではないと思えたこと。いろいろと話をしてくれた。素面でこんなにしゃべるN紀を見たことが無かった。そして最後に彼女は言った『今まで男に抱かれるのは苦痛だったが、生まれて初めてオイラさんに抱かれてみたいと思った』
その日の夜、オイラは彼女を抱いた。同じ布団に入り、抱きしめて顔を見ると、彼女は涙を流していた。自分から誘ったものの、男と布団に入ると昔の悪夢を思い出すのか、少し震えていた。初めての少女を扱うよりも、もっと優しくゆっくりと。まるで彼女の身体をマッサージするかのように、人生史上もっとも丁寧に女性を扱った。次第に彼女の緊張が解けてきてのかわかった。次第に彼女は自分をさらけ出し、激しく声をあげて果てた。
N紀とはこれからもこのような関係が続いていくと思っていた。しかし、その期待は2ヶ月後に裏切られる。鹿児島への6度目の出張前、彼女との連絡がパッタリととれなくなった。鹿児島へ着くなり、彼女の部屋へ直行したが、そこにはいなかった。携帯への電話、メールにも1週間ほど前から返事はない。
結局その出張期間には連絡をとることができず、もちろん逢うこともできなかった。彼女から連絡が来たのは、鹿児島出張から帰って3日後だった。そのメールにはお詫びの言葉と、実父が亡くなったことが書かれていた。オイラは急いで彼女に電話をした。長いコールの後、彼女は出た。
オイラが何を話しかけても、彼女の返事は無かった。それでも電話を切らないということは、彼女が聞いてはくれていると信じて話しかけた。親の死は辛いだろうが、多くの子が乗り越えなきゃいけない試練で、いまのN紀なら乗り越えられるはずだということを。彼女は返事をしなかったが、一言だけ話した。『逢いたい』と。オイラはその言葉に応えることができなかった。それから彼女とは連絡がとれなくなり、鹿児島への出張も人事の関係で無くなったため、彼女を訪ねることもできなくなった。
それから半年が経ち、オイラは転職して熊本へ単身赴任する事になった。休日に鹿児島まで足を延ばして、彼女が住んでいた部屋に行ったが、もうそこには別の表札が出ていた。働いていたスナックへも行ったが、半年前から来なくなり、音信不通の状態だという。何度か一緒に通院した病院や彼女が懇意にしていたお店にも行ってみたが、どこにも顔は出していなかった。
これまで関係した女性の中で、最も重く最も不思議な関係であったことは確かだ。今も達者なら35歳、どうかその人生が激しく壮絶でも生きていて欲しい。世の中悪い人ばかりではないと思えたことを信じて、出来れば幸せになっていて欲しい。
彼女はなかなか壮絶な人生を歩んできた。両親は離婚しN紀はお父さん子だったが、母親に引き取られた。母親は新しい男を作り、N紀と3人で一緒に暮らし始める。中学生になったN紀は、母親の男に性的暴行を受ける。誰にも相談出来ないまま過ごしたが、18歳の頃に母親が気がつく。そこで彼女の母親がとった行動は、自分の男を責めるのではなく、N紀に対する嫉妬によるそれだった。母親はN紀を目の敵にし、家にいるべき場所はなくなった。高校卒業と同時に家を出たが、定職もなく、それ以来友達や付き合った男の家を転々とする生活が4~5年続き、23歳の時に肉体関係と引き換えに、金銭的なサポートをしてくれるパトロンと出会い、2年間は住む場所にも生活にも困らなかったという。しかし、2年でパトロンに捨てられ、その後の2年間は再び、友達や知り合いの家を転々とする生活になったという。
オイラは自分に何が出来るかはわからなかったが、鹿児島に赴任している間だけでも、彼女のサポートをしてやりたかった。何より世の中悪いヤツばかりじゃないということを知って欲しかった。だから、オイラはN紀の身体を求めることもしなかった。パトロンとは違うことをする必要があったからだ。
赴任期間中の経済的サポートだけでは、その後の彼女に無責任だと考えた。彼女の自立支援のための活動をすることにした。ますは住まいだ。N紀はこれまでに部屋を借りた実績がなく、クレジットカードを作ったこともなかった。そのため保証会社が間に入る物件は契約できなかった。オイラは毎週末に、彼女を連れて不動産屋を巡り、大家さんと直接契約出来る物件を探した。
そのような物件はあるにはあるが、マンスリーマンションの契約が終わる、3ヶ月後に空き部屋のでる物件はなかなか見つからなかった。条件に見合う物件があっても、敷金や礼金が異常を高くふっかけられて、契約出来ないケースもあった。
やらなければならないことは、物件探しだけではなかった。N紀はこれまでのトラウマが原因なのか、明らかに精神的に病んでいた。これも専門医に診てもらう必要があった。保険証を持っていないため、保険加入の手続きが必要だ。住民票も実家から移動していないので、その手続きもした。国民健康保険への加入手続きが済んで、精神科への通院を始めた。
オイラの単身赴任期間が終わりに近づいたころ、ようやく彼女の新しい部屋も見つかった。手続きには一緒にいけなかったため、契約に必要なお金を渡した。赴任期間を終えたオイラは地元に帰郷した。その後も鹿児島へはひと月に一度は出張の予定だったため、彼女の新しい生活が軌道に乗るのを見守っていくつもりだった。
出張の時は彼女の部屋に泊めてもらい、ホテル代を節約した。病院にもしっかりと通い続けていて、少しずつではあるが、顔色も表情も明るくなっていた。オイラが出張で来ることを楽しみにしていてくれるようだぅた。4回目の出張の時には、彼女の顔から笑顔も見られるようになった。そしてそのとき初めて男女の関係になった。
オイラは身体目当てのパトロンではないので、男女関係を迫ったことは一度もなかった。もちろん彼女が好きだから、支援をしてきたのほ事実で、N紀からなんでここまでしてくれるのか?と聞かれる度に『好きだから』と答えてきた。4度目の出張の夜、彼女の上手いとは言えない手料理を食べ、オイラは居間でくつろぎ、彼女は流しで洗い物をしていた。出張で疲れていたオイラは、ウトウトしていたのだろう。洗い物を終えた彼女の少し濡れた手で起こされた。
オイラ『冷たっ!なんだよービックリしたー』
N紀『もう寝るの?疲れてしもた?』
オイラ『あ、ゴメン。大丈夫だよ。居眠りしてただけ』
N紀『少し話していい?』
彼女はオイラの答えを聞く前に話し始めた。先月までまだオイラのことを信用してなかったこと、これまでのことを凄く感謝していること、何故オイラが既婚者なのかと神様を恨んだこと、世の中には悪い人ばかりではないと思えたこと。いろいろと話をしてくれた。素面でこんなにしゃべるN紀を見たことが無かった。そして最後に彼女は言った『今まで男に抱かれるのは苦痛だったが、生まれて初めてオイラさんに抱かれてみたいと思った』
その日の夜、オイラは彼女を抱いた。同じ布団に入り、抱きしめて顔を見ると、彼女は涙を流していた。自分から誘ったものの、男と布団に入ると昔の悪夢を思い出すのか、少し震えていた。初めての少女を扱うよりも、もっと優しくゆっくりと。まるで彼女の身体をマッサージするかのように、人生史上もっとも丁寧に女性を扱った。次第に彼女の緊張が解けてきてのかわかった。次第に彼女は自分をさらけ出し、激しく声をあげて果てた。
N紀とはこれからもこのような関係が続いていくと思っていた。しかし、その期待は2ヶ月後に裏切られる。鹿児島への6度目の出張前、彼女との連絡がパッタリととれなくなった。鹿児島へ着くなり、彼女の部屋へ直行したが、そこにはいなかった。携帯への電話、メールにも1週間ほど前から返事はない。
結局その出張期間には連絡をとることができず、もちろん逢うこともできなかった。彼女から連絡が来たのは、鹿児島出張から帰って3日後だった。そのメールにはお詫びの言葉と、実父が亡くなったことが書かれていた。オイラは急いで彼女に電話をした。長いコールの後、彼女は出た。
オイラが何を話しかけても、彼女の返事は無かった。それでも電話を切らないということは、彼女が聞いてはくれていると信じて話しかけた。親の死は辛いだろうが、多くの子が乗り越えなきゃいけない試練で、いまのN紀なら乗り越えられるはずだということを。彼女は返事をしなかったが、一言だけ話した。『逢いたい』と。オイラはその言葉に応えることができなかった。それから彼女とは連絡がとれなくなり、鹿児島への出張も人事の関係で無くなったため、彼女を訪ねることもできなくなった。
それから半年が経ち、オイラは転職して熊本へ単身赴任する事になった。休日に鹿児島まで足を延ばして、彼女が住んでいた部屋に行ったが、もうそこには別の表札が出ていた。働いていたスナックへも行ったが、半年前から来なくなり、音信不通の状態だという。何度か一緒に通院した病院や彼女が懇意にしていたお店にも行ってみたが、どこにも顔は出していなかった。
これまで関係した女性の中で、最も重く最も不思議な関係であったことは確かだ。今も達者なら35歳、どうかその人生が激しく壮絶でも生きていて欲しい。世の中悪い人ばかりではないと思えたことを信じて、出来れば幸せになっていて欲しい。