どうも、しばらくぶりのオイラです。

入院生活も終わり、社会復帰してはや2ヶ月とちょっと、やっぱり仕事になると

体調が思わしくなくても無理しちゃう生き物なんですねぇオイラは^^;

さて、かつて同じ職場だった仲間が「恋と愛」というタイトルでブログをアップ

してたので、オイラも同じテーマで思い出したことがあるのでエントリー。

オイラはかつて結婚してました。子供も2人いて嫁さんと子供達を愛していました。

わけあって離婚と言う結果になりましたが、今でも元嫁さんと子供達を愛しています。

結婚前も結婚中も結婚後もたくさん恋愛をしてきました。それぞれの相手を「好き」でした。

結婚前の恋愛中、オイラはこう考えていました「コイツのためなら死ねる」

しかし結婚して嫁さんや子供に抱いたのはその逆でした「コイツらのためには死ねない」

これが恋と愛の違いなのではないかと思うのです。

「コイツのためなら死ねる」一見かっこいい言葉のようですが、実際は実に無責任です。

だってその人に降りかかる不幸はその1回では済まない可能性があるわけで、その一度目

のピンチを命を賭して救ったとしても、その後のピンチには関われないのです。

つまりは独りよがりの気持ちです。

「コイツらのためには死ねない」この言葉は薄情なわけではありません。一生守り続ける

ためには、おいそれとは死ねないのです。一度のピンチを救っても、また来るかもしれない

ピンチをも救わなければなりません。だから死なずに生きて守り続けなければならないのです。

これは相当な覚悟と決意が無ければいけません。

オイラの結婚は失敗に終わりましたが、この決意や気持ちを抱いたことは事実で、

このことを気付かせてくれたことだけでも、オイラにとって結婚は意味のあるものでした。

恋と愛の違い…古より多くの人の口からいろいろな言葉で説明されてきたと想いますが

これがオイラの人生で感じた恋と愛の違いです。どちらも素敵で大事です。
以前モテ期の記事をあげたが、オイラは常にモテたかったか?と聞かれると、これは若い頃から一貫してる気持ちだが、モテるに越したことはないけど、別にモテたいとは思っていない。常々、自分が興味を持った女性を振り向かせたいとは思ってきたのだが、興味ない女性にモテてることは、オイラにとってはほとんど価値のないことだった。

42年の人生で告白されたことなど、数回しかないが、それを悔やんだこともない。だから、イケメン俳優やジャニーズのタレントなどにも、憧れを抱いたことは全くない。確かに小中高と同級生にはモテるヤツが結構いた。それでもそんなヤツらを羨ましく思ったことは、一度たりともない。

数え切れない女性たちと、お付き合いしたり、一夜限りの関係をしてきたが、モテない分、そうなるまでに、結構な努力を重ねている。だこらこそその関係には、例え一夜限りであっても、価値があるのである。逆にモテていたら、好きになった相手を振り向かせるのに、もっともっと苦労したかもしれない。見た目がいい男は、遊びと思われる可能性も高いのでは?と考えるからだ。ま、イケメンになったことがないので、完全に想像の話ではあるのだが…。

オイラの風貌はほぼ100%と言っていいほど、初対面では怖がられる。見た目だけで言うと、最初に勤めていた広告代理店の上司に『お前が知り合いで良かったよ。知らないで出会ってたら、目合わさないもん』と言われたほどである。これと同じようなことを、その後の人生でも3回ほど言われた。

しかし、そんな風貌だからこそ、コミュニケーション能力を磨く努力をしたし、見た目とのギャップ効果で攻めたりといった戦略を考えることができたのだ。その結果口説いた女性の7割を、落とすことができたのだと思う。4割行くか行かないかなどと騒いでいる、イチローがバカバカしくなるような打率である。

もしオイラが福山雅治のような顔だったら、ここまで恋愛に貪欲になれず、凡打の山を築いていたかもしれない。付き合った女性のほとんどに言われる言葉が、イケメンに生まれなくて良かったと思うオイラの気持ちに嘘がないことを証明している『オイラって本当に自分大好きだよね~』
前の記事にも書いたがオイラはどちらかというと、セッ○スよりもチューが好きだ。チュー、接吻、口づけ、キス…呼び方はいろいろあるが、とにかく大好きだ。何ならセ○クスよりもエロいとも思う。

セッ○スで男性のシンボルが、女性の神秘の穴に、出たり入ったりするのは、そのために神様が用意した器官を使って行う行為なので!ある意味においては、至極当たり前の行為である。道理にかなっているので、そこには全くアナーキーさは無いのである。鍋と蓋、ペンとキャップ、刀と鞘のように、当たり前の関係だ。

その点チューはどうだ?口は物を食べたり、言葉を発したりする器官で、舌は物の味覚を感じる器官である。その器官が、愛情表現のためという、異なった目的のために、重なり絡み合い吸い合うのだ。こんなアナーキーなことを、ごくごく自然に行うのである。これに興奮を覚えずして、何に興奮するのだろうか?

それとチューには気軽さという利点もある。セ○クスはさすがに人前でやることには抵抗がある。夏の浜辺や車の中、非常階段の踊場など、変わった場所でしたこともあるが、それでも見られていないという前提があるか、見られていないはずという願望が、理性を越えた場合である。それに引き替えチューは、いつでもどこでもできる。恥ずかしがる女の子もいるが、Sっ気を満たすのにも役立つ。

オイラとしてはセッ○スよりもイヤらしいと考えているチューを、公衆の面前て行うという興奮もあり、とんでもなく心を満たされるのだ。いやーベロチューって本当にいいものですね!