あの人はいい人だ、とかそんな言葉を耳にすることだと思う。
Twitter(というか質問箱)であんなに荒れているクルスだけど、
会ったことがある人や友人・知人には「いい人だよね」と言われることは多い。
周りの人が思うほど、サイコパスでもなければ、悪人ではないと思う。
そこまで馬鹿ではないし、空気を読めないこともないし、どちらかというと周りに合わせる方なのも、
会ったことがない人がクルスのことを理解するのなんて本当に難しいことなんだと最近は特に実感している。
今回のタイトルにもしたことだけど、そもそもいい人って何なのか?というお話。
いつもいつも「正義の角度」なんて口を酸っぱくするほどに言っているが、基本的にはそれと似ている。
そもそも絶対的な正義なんて、この世にはありえないと思っていて、偏ってしまう宗教なんてのがあまり得意じゃないのはこのせい。
何が正しいのか、なんて絶対的に全てがわかるわけないから、今まで生きてきた経験と、自分の正義論を貫いていくしかない。
だから、人それぞれ正義はあるはずだし、批判もしない。
というか、批判するほど偉くはない。
もちろん質問箱なんかで中傷の言葉や、煽りや、あなたは間違ってます、みたいな投稿にはイラッとはする。
ただその人たちには、クルスとは違う正義観があるというだけのこと。
その人たちはクルスの人生に責任をとってくれるわけではないので、自分の人生を貫いていくという覚悟を決めて、生きることしかできない。
今回は、こういった正義の話ではないので話を戻す。
「いい人」と呼ばれるのは簡単だ。
相手にとって都合のいいことをする、それだけ。
これは何だっていい。
一緒に飲みに行った時に奢るとか、プレゼントをあげるとか。
仕事で言うのであれば、部下や新人を怒らないとかでもいいかもしれない。
自分も「自分にとって都合のいい人」をいい人、と呼んでいないか考えてみるといい。
仕事の例は特に分かりやすいけど、今まで社会で働いてきた中で、怒ることはナンセンスだと思っている。
怒ったところで時間は戻らないし、怒られた方も嫌な気持ちになるのを知っているつもりだからだ。
もちろんすごく怒ったら時間が戻るとかなら、怒るかもしれない。
でも時間はもう戻らないから、怒るよりも冷静になったほうがいいんだと思っている。
幸い教え方も、注意の仕方も上手い(きつくない)と言われる。
だから、部下とか新人にとってのクルスは「いい人」に映ることが多いんだと思う。(前のバイト先で何したら怒るのか分からなすぎて仏ってあだ名ついてた。)
さてさて、ここで問題なのが、自分より上司とか偉い立場の人たちだ。
自分らは新人の頃に怒られて育ってきたものだから「その教育の仕方は間違ってる」と口々にまくし立てられることもあった。
つまり彼らにとって見てみると全然「いい人」ではないわけだ。
確かに強く注意しないのであれば、また同じミスをしてしまうかもしれない。
そうなると、本当に「いい人」なのは、どっちだろう。
同じミスがないようにしっかりと怒る先輩の方が長い目で、大きな目で見て「いい人」なのかもしれない。
仕事じゃなくても、きちんと自分の気持ちを、考えていることを相手に伝えるのが、
相手への優しさであり「いい人」というものなのかもしれない。
もしくは無関心を完全に貫いて、相手自身に責任を持たせるのも「いい人」なのかもしれない。
そこに答えは出ない。
どっちがいいのかを議論して導き出す時間は、圧倒的に無駄だ。
人は、他人と同じではないから。
誰かにとって「いい人」であろうとすると、どこかで「いい人」ではなくなってしまう。
人それぞれの主観だから、全てから見て「いい人」であるなんて不可能だ。
「いい人でいなければいけない」というルールはそもそもない。
世間的に見たクルスのような「悪」も、万人にいい人には映らない。
だが、一定数の人には好かれるわけで、好きでいてくれる人を大事にすればいいだけ。
万人に愛されるわけがない、ということをもっと根本に叩き込む。
だからこそ、自分が他人に向けて使う「いい人」や、他人に言われる「いい人」には、
どんな内情が含まれているのか、一度考えてみるのもいい。