先日、熊本の長寿ローカル番組
「週刊山崎くん」で
前半に水俣を舞台にした特集があった。
水俣といえば、世界的にも有名な水俣病がある。
実は同じ熊本でも、
俺には特に縁もゆかりもなく、
水俣に行ったことすらない。
なので、熊本の地方ニュースで流れてくる内容しか知らない。
同じ県だといっても、ほとんど関わりはない。
なのでwikiで調べてみても、
完全に理解したとは言いにくいのだが
水銀による中毒で、経口摂取により集団発生したものを指すらしい。
昨日のその番組の中で、
家族の中に水俣病を発症した人がいて、その家の人が
迫害にあっていた話があった。
すごく胸が痛んだ。
地域の人からの嫌がらせや、罵声、暴力は当たり前で
他にも語られたのは人間とは恐ろしいな、
と思えるようなことばかりだった。
昔の俺からしたら
「イジメダメゼッタイ」
とか
「可哀想なことをしてはいけない」
と声を大にして言っていたはずだ。
それは常識や、道徳の上では当たり前の話なのだが
今この歳になって、その水俣病の話を観ていたら
別の角度から見ることができるようになっていた。
そもそも、その迫害は「悪なのか」という疑問である。
いや、そりゃもちろん「善ではない」のだけども。
自分が迫害する側、または中立だった場合、
「冷静にそんなこと言えるのか」
と思える。
下手をしたら、感染するかもしれない
そんな恐怖の中で、迫害を行わずにいられるのだろうか。
当時は、研究も進んでなかっただろうし
そこに知識すらない。
その中で、謎の病に侵された人を
どんな目で見れるのだろうか。
迫害する側も恐怖だったのだと思う。
一方的な正義、一方的な悪を批判することはできない。
この時の「悪」は今の俺から見ると
「知識がないこと=無知」であった。
そこに知識があれば、きっと何かが変わった。
しかし、今でも奇病や知らない病気なんてたくさんある。
その悪を裁くことも、批判することもできない。
俺は頭も良くないから、医者にもなれない。
自分にできることは、何か。
「イジメダメゼッタイ」と主張することか?
違う。
その先に用がある。
きっと物事の本質なんて、何にでもある。
そこを見抜ける「知識」を身に付けたい。
このまま、ステイしたままなんて絶対嫌だ。
だけど、そんな俺でも、やはり
多数側に回らずに、手を差し伸べられるか
そこも課題になる。
恐怖すら跳ね除けられるくらいの、
そんな自分になりたい。
綺麗事だけれど、皆が手をつなげば
世界はもっと明るくなる。
世界はもっと優しくなれる。
それを信じて。