やはり田舎は辛い。

今日つくづく思った。


前に東京に住んでいて、夢破れ、熊本に帰る時

「成功する奴は、どこにいても成功する」

ということを学んだ。


それは、

東京にいけば夢が叶う

という思い込みだけで、東京に行った俺が最後に出した結論だった。

今思えば、それでも東京にいれば何かが変わっていたのかもしれない。

その時から俺は「何か」のせいにして逃げるばかりだった。


西野亮廣さんの言葉を読んでいると

都会の家賃が高いのは、その分夢に近いから

みたいなのを読んだことがある。

でもたしかにそうだ。


夢が転がっているのは事実。

どこにいても、それを拾えるやつは拾える

それが現実だった。


だが、どうしても拾う側に回りたいのが俺。

今日つくづく思った。

今ここにいて、何もない。

当たり前だ。

「変化」を恐れて、何も現状を変えずに何かを手に入れようとしている。


単純に器不足。

俺の中の許容量を超えている。


人が変わる時、それは必ず何かを捨てなければならない。

何かを捨てなければ、何かは手に入らない。


「ない、どうしよう」と慌てているだけ、

または誰かがどうにかしてくれるのを待つだけなのが

今までの俺。


違う、変えなければ。

今の環境が嫌なら、自分で抜け出さないと。


「嫌なら現状を変える」

そのスタンスでいい。

無理に常識に首を突っ込む必要はない。


「ない」のなら、作ればいい。

ただそれだけなのだ。



そう強く思ったのは、今日のストナン。

声をかけることに戸惑いはなくなっている。

恐怖もない。

なのに家族づれやカップル、

ほとんどがそれだ。

ここ数週間日曜日の昼間に出て

ほとんどこれだ。

一人でいる子なんて、ほとんどいなくて

やっと見つけては、声をかける。

途中でいらいらしてきた。

なぜ、こんなにもいないのか。

絶対数、分母なんて増やせやしない。


単純な話。

金の出費をケチって、福岡にも何にでも行こうとしない、自分の浅はかさだ。

そこに意味を見出せるならお金は使うべきだ。


もう日曜日に意味もなく出ない。

理由があるか、出るなら福岡まで行く。

自分改革を謳うなら自分が自分を変えるしかない。


ないなら、作る。

人を待ってるのは何にもならない。

俺が体現者になるしかない。

ないなら、あるところに行けばいいじゃん。

そういう話。

ないものを嘆いても、何もなさない。

あるものを求めて行こう。

そういう話。