心理学 と スピリチュアルのあいだー第28話 意識と覚醒体験 | バス次郎の徒然なるままに〜無意識の中のもう一人の自分〜

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こんにちは( ◠‿◠ )

 

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はじめに

心理学という学問はとても幅が広く奥が深い学問です。

臨床心理学、超心理学、トランスパーソナル心理学のお話しはこれまであまりしてきませんでした。

 

本当はもう少し歴史や現象についてのお話しをしたいところですが、あまり歴史や現象ばかりの記事になるとスピリチュアルブログやオカルトブログと間違われてしまう(既に勘違いされている^^;)ので歴史や現象については取り敢えず第10話までとして、第11話以降ではこれまでの話しを元にさらに心理学的、精神分析学的アプローチより深掘りをしていきたいと思います。

 

今後は医学、物理学、量子力学、人間科学、精神分析学、臨床心理学、超心理学、トランスパーソナル心理学など複数の領域に跨るちょっと変わった心理学のお話しもしていければと思います。

 

ちなみにバス次郎の心理学に対する学派は恩師の教えもあってユング派です。それがいいか悪いかはわかりません。一つ言えることはどの学派に属するかではなく、一つの考え方を体系的に学び探求していく過程に於いて深く洞察することができる言わば拠り所あるいは原点であると考えています。

 

現在のバス次郎の研究テーマは”無意識の心理と感情”ですがユングの元型、共時性、類心的無意識が関わっています。

一つの研究テーマに対してあらゆる方向から追求していく中で思いもかけないことが発見できるのかもしれません。

そんな研究テーマから研究ノートに書かれているメモの一部をこのシリーズでは記事にしています。

 

<今日お話しすること>

前回は「第27話 意識と感情」について取り上げました。
その記事の中で感情は脳による記憶を通して過去の経験した記憶から感情的(情動的)な感情が生起するということと、経験を重ねることにより感情が先に現れるというお話しをしました。

 

以前、「第5話 変性意識状態(ASC)」では、変性意識状態(ASC)のお話しをしました。
 

「人為的,自発的とを問わず心理的・生理的・薬物的,あるいはその他の手段・方法によって生起した状態であって, 正常覚醒状態にいる時に比較して,心理的機能や主観的経験における著しい異常性や変容を特徴 とし,それを体験者自身が主観的に(もしくは他の客観的な観察者によって)認知可能な意識状態である」。

 

それに加えて「一見すると,異常性,病理性,現実逃避性,退行性の要素も見られるが,究極的には根源的意識の方向性をもった状態である。


バス次郎の仮説ですが、感覚をある一定程度の制限を加えることにより、人間の身体は生命の危険を知らせる感覚が働くのだと思います。それを生命感覚とすれば、生命感覚から危険信号あるいは異常信号を感知した脳が異常を認めASC(変性意識状態)を作り出すのではないかということ。その生命危険信号や異常信号は病的な場合と瞑想の場合で何がちがうのでしょうか?

一言で言えば、
瞑想状態は主観であることや過去の病歴にも関連しているのではないか?

ASCが生起しやすい人とそうでない人がいるのではないか?



今日のお話しは、瞑想による覚醒中(ASC下)の意識状態について少し深掘りしたお話ししたいと思います。

 

(関連記事)
ASCについての詳しい記事は下記の記事が参考になります。

 

<研究テーマとの関連>

バス次郎の研究テーマの一つである自己的意識を考える際の原点


”意識”の中には”自己的意識”、”集合的無意識”、”類心的無意識”とよばれる意識がある。

集合的無意識や類心的無意識が覚醒体験とどのように関わっているのだろうか。

 

<心理学辞典より>
*黒枠内は引用、文字装飾はバス次郎が追記

想法
瞑想法という言葉は、ヨーガ、禅、チベット仏教、キリスト教などにおけるさまざまな行法の総称として用いられている。

多くの瞑想法は、静かに座った姿勢で何らかの対象に注意を集中する方法をとるが、ハタ・ヨーガのようにさまざまなポーズをとるものや、太極拳のように身体を動かすものも、瞑想法と見なされている。

また、注意を向ける対象も、呼吸、マンダラ、心の動きなど多種多様であり、技法の手続きによって瞑想法を定義することは難しい。シャピロ(Shapiro, D. H. 1992)は、瞑想法を「非分析的な注意の集中を保とうとする技法の総称」と定義している。

瞑想法の欧米への普及に際して、宗教的背景を切り離して技法のみが広まったことから、瞑想法という手続きの心身への影響に関する心理生理学的研究が進められた。瞑想法は、弛緩反応を生じさせることが確認されたため、(West. M. A. 1987)、1970年頃から、心理療法の技法として用いられるようになった。

主に心身医学の分野での心身の弛緩法あるいは調整法として、また、トランスパーソナル心理学の分野での深い洞察や至高体験の誘発法として、種々の瞑想法が活用されている。

最も普及しているのはTM(transcendental meditation)であり、不安水準の低減や血圧の安定などにおけるTMの有効性が確認されている(Wallace, R. K. 1981)。 TMは、マントラ(聖音)とよばれる無意無音を心の中で繰り返す瞑想法で、指導手続きが体系化されている一方、マントラの非公開性など宗教的側面も残している。

近年、TMや禅などの手続きだけを取り入れた非宗教的な瞑想法の開発が盛んであり、弛緩反応法(Benson, H. 1976)、臨床標準瞑想法(Carrington, P, 1978)、マインドフルネス瞑想法(Kabat-Zinn, J. 1990)などが、高血圧の治療や痛みの緩和などに活用されている。


やっと、ここからが今日の本題です。

よく”瞑想体験”とか”覚醒体験”というのを聞くことがあります。

覚醒体験(悟り)を意味する言葉には,以下のようなものがあります。
 

英語では, Enlightenment, Awakening, Realization, Nirvana などと言う。
Shift in Consciousness なども同様の意味で使用されている。

キリスト教における Revelation もほぼ同様の経験を意味しているようである。

日本語には,まず解脱がある。 これは文字通り,形あるものから抜け出ることを意味する。さらに涅槃は,「炎が消えた」 を意味する。

炎は現象のことで,エゴが作り出す拘束や限界の虚像を見破ることで,その炎を消すことを意味している。

その他の類似表現には,悟り,啓示,黙示,啓発,感 得,極楽の境地,完全な状態,目覚め,気づき,一瞥体験,などがある。
 

覚醒体験 は, エゴの世界から 真実・実相の世界への移行 であり, エゴによる歪みを超越し、あるがままの現実を見ることを意味する。
 

この気づきは, 人間の潜在能力を完全に開花させる段階 ともいえ,文化,国,宗教などを超えた普遍性を持つ体験でもある。

成毛 (2015)


 

本来、誰もがもっている潜在能力を開花させることが「覚醒」である。

 

<覚醒の定義>
<心理学辞典より>
*黒枠内は引用、文字装飾はバス次郎が追記

覚醒とは、目覚めている状態であり、睡眠でない状態である.
一般的には、周囲に注意をくばり、見当識が保たれており、ものごとを正しく認識しうる状態のことである.

そして、通常は、その結果として、適切な反応・行動をとることが可能である.

現在の脳の臨床所見によれば、正常な意識が成立するためには大脳皮質全体が健全であることが必要であり、それが広汎に侵されると、昏睡となり、意識は保たれない.

睡眠による意識の喪失は生理的・可逆的であるが、昏睡は病的に持続する意識水準の低下であり、可逆的ではない.

また、より程度の軽いものとして、嗜眠がある.昏睡が大脳皮質全般にわたる侵襲だけではなく、視床下部後部や中脳網様体などの傷害によっても生じることから、
覚醒あるいは大脳の活動水準の維持には、覚醒系と呼ばれる間脳と脳幹の種々の部位による調整が必須とされている.
 

中島 義明. (2014). 心理学辞典.


<覚醒体験者の体験>
原文には個人名が記されていましたが、個人情報保護の観点から個人名の記載を控えました。

A氏

光体験)
「真の自己」とは,白光に包まれた「覚醒意識」

意識体験)
覚醒体験とは「主体と客体である自分が一つになり,意識がそれ自身を意識して いる体験」です。自分の目で,自分の目を見るようなものです。私のした体験は, 自分という意識が自分の体を越えて空間に広がっていきました。空間は私の意識 と同じ意識で息づき,躍動していました。


B氏

まばゆい光の中へ入っていったことが ありました。光といっても普通の光ではありません。通常の光の何百万倍もの明 るさの,ちょっと形容しようのない光です。


C氏

ないような美しい光に包みこまれました。そこは,白っぽ い金色の輝きに満ちた一面の光の世界でした。

D氏
どんな「場所」も,気づきの中の現れにすぎないことがわかりました。胸のあたりからきらきらと輝く光の玉が放射されて外側に広がっていき,独立した個性の中心としての人間という概念はその中に溶けてきえてしまいました。

E氏
いつの間にか夜が明けて,太陽の光がそそいできました。そのとき自分の目の前にたまたま小さな菊の花があったのですが,その花にさっと日の光が当った瞬 間,そのきらめきというか,輝きというか,すばらしい光が僕にパッと迫り,体 に入りました

F氏
しばらく坐禅していると,いつもとは何か次元が違うかのように,スーッと深い 意識状態になり,これまでに体験したことの無い境地になった。どんどん良い状 態になる。どんどん自分という意識が無くなる。肉体感覚が無くなる。五感を超えるというのは,このことなのだろうと思った。

天井も,畳も, すべてが一つになる。すべてが,一つの宇宙の根本波動の中に消えてしまい,一 つの大波だけを感じる。私は,ここから来て,またこの大波へ帰るのだと思った。

自分が,その根本波動の中に飲み込まれ,我が無くなるということが,こんなに も快いものなのか…。しかし,私の個性は残り,不安は感じない。最高の喜びを感じ,至福だ。最高の寂静で,最高の落ち着き,最高の冴えだ。私は,こ の至福の状態をしばらくの間楽しんだ。この人生で,最高最良の体験だ。

引用
成毛信男, 「現代における覚醒体験「光の体験」と「一体性(Oneness)の体験」,2015.

 

覚醒時における共通体験
覚醒体験者の体験談から共通的な要素として以下の変化があることが知られています。

1)光体験
2)意識状態や自我の変化
3)知覚・感覚の変化

 

覚醒体験は主観あるいは妄想なのか?
覚醒時の体験について、以下に引用数の多い3つの論文の概要を示します。

1)Castro, J. M. (2017). 
『A model of enlightened/mystical/awakened experience.』

Awakening experiences are powerful and transcendent experiences that profoundly affect the individual. There appears to be an essential core experience of oneness. It is experienced as a completely subjective phenomenon where awareness contains reality and the notions of an external reality and a separate self are perceived as delusions. A model is presented of awakening experiences that postulates 3 layers of processing, sensory, perceptual, and cognitive, that separate external energy from awareness. The model hypothesizes that awakening experiences results from the progressive removal of the cognitive, perceptual, and sensory layers of information processing. This to some extent returns awareness to a primal state that was present before the development of neural information processing. The model simplifies, summarizes, and explains awakening experiences and is consistent with neural system activity observed during contemplative practice, transcendent states, and hallucinatory drug use and with the effects of changes in the neural systems on experiences. (PsycInfo Database Record (c) 2021 APA, all rights reserved)

(訳)
『悟りを開いた/神秘的な/覚醒した経験のモデル。』

覚醒体験は、個人に深い影響を与えるパワフルで超越的な体験です。
一体感という本質的なコアの経験があるように見えます。
覚醒体験は、完全に主観的な現象として経験され、そこでは意識が現実を含み、外部の現実や分離した自己という概念は妄想として認識されます。

覚醒体験のモデルは、外界のエネルギーを意識から切り離す、感覚、知覚、認知の3つの処理層を仮定して提示される。このモデルでは、覚醒体験は、認知、知覚、感覚の3つの情報処理層が段階的に取り除かれることで生じると仮定している。

これにより、意識はある程度、神経の情報処理が発達する前の原始的な状態に戻ると考えられます。このモデルは、覚醒体験を単純化し、要約し、説明するものであり、観照的な練習、超越的な状態、幻覚剤の使用時に観察される神経系の活動や、神経系の変化が体験に与える影響と一致している。


2)Steve Taylor (2017).
Transformation Through Suffering: A Study of Individuals Who Have Experienced Positive Psychological Transformation Following Periods of Intense Turmoil

This article summarizes a study of 32 individuals who experienced psychological transformation following periods of intense turmoil and trauma in their lives. Several individuals reported temporary spiritual experiences following turmoil, but the majority underwent a permanent psychological transformation. These experiences are termed suffering-induced transformational experiences (SITEs). The types of trauma that featured included intense stress and upheaval, depression, bereavement, serious illness, becoming disabled, alcoholism, and encounters with death (through medical conditions or accidents). The individuals were interviewed, and the most prevalent characteristics of their new state of being were identified, including increased well-being, intensified perception, a sense of connection, improved relationships, a less materialistic and more altruistic attitude, decreased cognitive activity, and reduced fear of death. Reasons for the transformation are suggested, the most important being the dissolution of psychological attachments, followed by acceptance.

(訳)
苦悩を通じた変容。激しい動揺の後にポジティブな心理的変容を経験した人たちの研究

この論文は、人生における激しい混乱やトラウマの後に、心理的な変化を経験した32人の研究をまとめたものです。何人かの人は、混乱の後に一時的な霊的体験を報告したが、大多数の人は永続的な心理的変容を遂げたのである。

このような体験は、SINGING-INSTRUCTION TRANSFORMATION EXPERIENCE(SITE)と呼ばれています。


登場するトラウマの種類は、強いストレスや動揺、うつ病、死別、重病、障害、アルコール依存症、(病状や事故による)死との遭遇などです。

本人たちにインタビューを行い、新しい状態の最も一般的な特徴として、幸福感の増加、知覚の強化、つながりの感覚、人間関係の改善、物質主義的ではなく利他的な態度、認知活動の低下、死への恐怖の減少などが挙げられました。変化の理由としては、心理的な執着の解消が最も重要であり、次いで受容が挙げられる。

 

3)Chad V. Johnson, Harris L. Friedman


Enlightened or Delusional?: Differentiating Religious, Spiritual, and Transpersonal Experiences from Psychopathology

Psychological diagnosis faces unique challenges when used to differentiate nonpsychopathological religious/spiritual/transpersonal (R/S/T) experiences from those that might evidence psychopathology, particularly considering the diversity of such experiences and the value-laden assumptions inherent in most diagnostic practices. Theoretical and pragmatic problems related to the diagnostic category, Religious and Spiritual Problem, as contained in the Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders are discussed. Attention is paid to identifying potential biases and errors in using, or failing to use, this diagnostic category, particularly as related to developing culturally sensitive diagnoses. Specific methods, including psychometric approaches, for evaluating R/S/T experiences that may range from healthy to psychopathological are reviewed and recommendations are presented for improving current diagnostic practices and furthering needed research.

(訳)
悟りを開いたのか、妄想なのか:宗教的、スピリチュアル、トランスパーソナルな体験を精神病理学と区別するために

心理学的診断は、非精神病理学的な宗教的/精神的/トランスパーソナル(R/S/T)体験を、精神病理学的証拠となりうる体験と区別するために用いられる場合、特にそのような体験の多様性と、ほとんどの診断方法に内在する価値観を伴う仮定を考慮すると、独特の課題に直面する。

Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders(精神疾患の診断・統計マニュアル)』に記載されている診断カテゴリー「宗教的・精神的問題」に関する理論的・実際的な問題を議論する。この診断カテゴリーを使用したり、使用しなかったりする際の潜在的なバイアスやエラーを特定すること、特に文化的に配慮した診断を開発することに注目している。健康的なものから精神病的なものまで様々なR/S/T体験を評価するための、心理測定的アプローチを含む具体的な方法を検討し、現在の診断実務を改善し、必要な研究を進めるための提言を示す。

 

変性意識状態(ASC)を経験した、ユング自身のNDE(臨死)体験から、それは投射(投影)を含むものであり客観的な認識がなされていないことを問題視している。

 

感情的結合は人間にとって、一般的にはきわめて重要なのだが、しかし投射を含んでいて、自分自身や客観性に到達するためには、この投射を捨て去ることが必要である。(中 略) 客観的認識によってはじめて現実的な合 一が可能である。」

 

つまり精神分析学でいうところの何らかの防衛機制が働いていることを意味しており、自分にとって都合の悪いことに対する防衛がASC下の”無意識”の中でも働いているのかもしれない。

 

 

覚醒体験と無意識
これはバス次郎の仮説の一つです。
覚醒体験はNDEと同様にASCが生起して生じるものであるから、NDEと同様にユングが言うところの集合的無意識や類心的無意識によるものであると推察します。上述の覚醒体験談にあるような”光体験”はまさにそれを物語っていると思うのです。

気になることは、とくに”類心的無意識”であり、この領域は知覚できない領域と言われている。これは心でもなく身体でもない領域が覚醒作用に対してどのような影響を与えているのか?と言うことです。

 

覚醒体験と疾患
これもバス次郎の仮説です。
Steve Taylor (2017).も述べているように現在あるいは過去のトラウマ、とくに強いストレス、うつ病、双極性障害、統合失調症、解離性障害、死別、危篤状態を伴う重病な疾患、アルコール依存、薬物依存、臨死体験などによる覚醒体験病的ではない本来の自然な覚醒体験との意識状態を含めた意識の違いや生体反応の違いがあるのではないか?

 

 

 

以上のことから、覚醒体験について広島大学の斎藤先生は以下のように述べています。

 

ASCには一過性に精神病理的な症状に類似した現象が顕在化する場合もあるが,そこを通過してさらに深層へと意識が深化したときには,人間的に価値の高い創造的内容をも体験することができる。

精神病者との相 違はそれらの体験をしたあと,再度通常の現実に可逆的に戻ることができるという点である。

こうした ASC の特徴からも明らかなように, 禅者は少なからず一過性に病理的,退行的,現実逃避的な体験をすることは確かである。

引用:斎藤稔正,『変性意識状態と禅的体験の心理過程』,2016.

 

一口に覚醒体験といっても、健康的な覚醒体験と病的な覚醒体験があるのです。

 

これはバス次郎の仮説ですが、精神疾患、とくに癲癇、解離性同一障害、うつ、双極性障害、統合失調症などの持病を抱えている、あるいは過去にこれらの疾患を経験した人に特有の覚醒体験があるのではないだろうか?(調査中)。また、それが健常者が経験する際の覚醒体験との違いもあるのではないだろうか?

 

 

参考文献

 

中島義明. 心理学辞典, 2014年.

 

 

自然現象と心の構造―非因果的連関の原理

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700〜6,640円

 

 

Castro, J. M.  , A model of enlightened/mystical/awakened experience. ,2017

 

Steve Taylor, Transformation Through Suffering: A Study of Individuals Who Have Experienced Positive Psychological Transformation Following Periods of Intense Turmoil., 2017

 

Chad V. Johnson, Harris L. Friedman, Enlightened or Delusional?: Differentiating Religious, Spiritual, and Transpersonal Experiences from Psychopathology

 

成毛信男, 「現代における覚醒体験「光の体験」と「一体性(Oneness)の体験」,2015.

 

斎藤稔正,『変性意識状態と禅的体験の心理過程』,2016.

 

 

 

 

今日はこの辺で。

 

どうぞ、これからもよろしくお願いします。

 

 

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