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アメリカ迷走記

アメリカはジョージアで日本語教師と学生をしています。よろしくどうぞ。

明けましておめでとうございます、という間もなく、マイアミに来ました。ひとりで。
1月3日から8日まで滞在します。
一人旅と言えば私にとって欠かせないのが(まぁたいてい一人旅なわけですが)、着いた先での空港での迷子。ホテル・ホステルへの行き方や現地の公共交通機関についてほとんど調べずに、着いた先であたふたするので、いつも人に聞かなければならない状況に陥ります。
今日も空港に6時半に到着するも、ホステル着はその3時間後、9時半で、その間私は空港でまずバス停への行き方に迷い、無駄に空港の端から端まで往復したり、バス停では時間のロスがたたったのか、バスが来るまで30分以上待ち、乗り換えではなぜか全くバスが来ず、結局スーツケースを持って夜の繁華街を歩く羽目になりました。
私くらい要領の悪い人を見たことがありません。
久しぶりにお酒を飲みつつ、「私って旅行先でお酒飲むために旅行してるんだなぁ」と、ふと思いました。
暖かいので外で飲めるのが嬉しいです。
マイアミレポートは続きます。

さく
こんばんは。
私の住むメイコン市はジョージアの真ん中、州都アトランタから北に車で2時間弱くらいのところに住んでいて、アメリカの田舎の例にもれず、車ナシではどこにも行けない(でも車があればショッピングモールに15分くらいで行ける)。バスはあるけど超不定期。誰に聞いてもみんな、40分くらい待ったと言います(過去形なのは、誰も二度と使わないから)。

私は車ナシ生活を強いられているのですが、徒歩圏内には、スーパーが2件、スタバもあれば中華デリ、フローズンヨーグルト屋さんもバーガーキングもサブウェイもKFCもなんちゃって寿司屋もあるという、おそらく割と恵まれている方ではないかと思います。
チャリが欲しいと思いつつ、はや1年半が経過。今日も私は最寄りのスーパーまで片道10分の道を歩きます。

当初意外だったのは、スーパーで見かける日本食。日本人を見かけることはほぼない環境なのですが、ちょっといいスーパーに行けば、豆腐はもちろん、インスタント味噌汁(3袋入り3ドル。つまり1杯1ドル。。。)や日本のお米、うどんやポン酢なんかは余裕で手に入ります。
白菜なんかもあります。その名も"nappa cabbage." 日本のものよりふた周りくらい小ぶりで(誰か外の葉っぱを何枚か剥いてるやろ!と私は今でも思っている)、1玉3ドルくらい。ちょっとお高め。写真も次回載せますねっと。

パン粉もなぜか"panko"という名で売られているし、おーいお茶や、ビールもキリン、サッポロあたりが置いてあります。インスタントラーメンも日本のブランドのがありますが、アメリカ向けの商品だと思われるので、試したことはありません。(同じ轍は二度と踏むまい。)

メイコンのスーパーではこんな感じですが、アトランタには小さいながらも日本食スーパーがあったりします。カリフォルニアのスーパーはもっと充実していたのですが(おかきとかあった)、むしろあちらには大きな日本食スーパーがたくさんあるので、わざわざアメリカンスーパーで日本食を探す必要はありません。

時々夢にまで出てくる理想の地、カリフォルニア。年中暖かくて海があって、きれいで日本食も本屋さんもあって。英語も聞き取りやすい。日本にいる時は東海岸の方が楽しそうと思っていたけれど、今は断然西に行きたい。ああカリフォルニアに住みたい。。。

さく


クリスマスでございます。こんばんは。
日本ではもう26日ですが、米国東海岸は25日の夜です。
写真は、諸外国ではクリスマス時期によくスーパーで見かける、panettoneという焼き菓子。私も今年は小さいサイズのをいくつか買って、お世話になっている人に配りました。

クリスマス、といっても大して書くことないんですよねぇ実は。
近年のクリスマス・クリスマスイブはどのように過ごしたかと言いますと、

去年:帰国していたので、大阪で友達の家で飲み会、買い物など。友達は留学経験者が多いので、みんなまだ学生。近未来都市化していく梅田に少し寂しさを感じる(大学時代一番よく遊びに行ったのは梅田でした)。
一昨年:なぜか寮(大学四年間寮生活でした。今と変わりません)でひとりなんちゃってパンを焼くなど。
二年前:友達と飲み会。。。だったような気がする。サークルの独り者が集まる会を主催(主催する、というところに注目。日頃は会のようなものを主催するタイプではないが、この会は自分のために主催した)。プラスバイト。
三年前:大学二年生。記憶にないが、誰かと何かをしたような気がする。

というわけで、あまり覚えていないのですが、日頃の非社交的生活がたたり、毎年大したことをしていません。クリスマスと誕生日は非リア充が最も日頃の行いを悔いる時ではないでしょうか。

あまり関係ないですが、いつも帰国する時は、夕方ニューヨークJFK空港発羽田に深夜12時前に着くという便で帰るので、翌朝の大阪行きの便まで一人で空港で夜を明かさなければならず、その上帰る時も羽田空港早朝5時半発なので、伊丹の最終便で羽田に着き、空港で夜を明かさなくてはいけません。なんという苦行。(学校の寮から実家までは30時間以上かかります)でも、これが一番安いのでした(前もって予約しないから)。これまでの人生で4、5回はひとりで空港で夜を明かしています。

そんなこともあってか、私は空港という場所が苦手です。ひとりで諸々の手続きをしなければならない感じも、物価の高さも、街から離れているところも。気の置けない友達と旅行なら、全然大丈夫なのだけど。

さく
こんにちは。
なんか月1更新が定例みたいになってきてますが、更新出来ないほど忙しかったのかと言われると、そんな時期は断続的にしか来ないわけで、更新する時には一気に更新する、というのがどうやら私のスタイルのようです。なら時間設定してポストするようにしたらいいのかもしれないけれど(決まった時間に週一回とか)、そこまで私はこのアメーバブログを使いこなしていない(アメブロに限らず、私は応用して何かを使うのが苦手)のでした。

最近は何をしているのかというと、Youtubeでドラマを見まくったり、乙ゲーにはまっていたりするうちに、成績はみるみるうちに下がり、英語?何それ私しゃべれたの?(いやそもそも大してしゃべれない)っていうしゃれにならない堕落っぷりでした。

どこいったんだろう、努力する私。(そんなものは大学受験期に一瞬のピークを迎えただけでした)

そのような中でも、日本語教師としての仕事は粛々とこなし、ていたわけでもなく、今期は公私ともに(今の私の公の部分って何だろう。週7日24時間キャンパスにいるのに)、やや下降ぎみ。

いつもある程度安定して頑張れる人ってすごいですよねえ。
私はそういう人生とはほど遠い人生を送ってきたので、時々そういう人がとてもうらやましくなります。わたくし名前だけはそこそこの大学を日本で出て(英語とは無関係の専攻でした)、卒業後は奨学金で米国留学、というちょっと変わった経歴を持っているので、まれに「すごいね」と言われることがあります。
でも、その実態は、

高校2年生まで進学を考えていなかった→クラスメイトほぼ全員が進学するという事実に気が付く→私は都会に出て行きたい。人生の選択肢を増やすには大学に行くのが一番良さそうだ→母「せっかく大学行くなら、関西の国立の、いいところに行きなさい」→勉強→紆余曲折するも、とりあえず受かる→4年間ぼんやり→就職決まらず→アメリカに全額奨学金で2年留学?とりあえず応募してみよう→通る(ありがとうございます)→現在(進路未定、もうすぐ4年生前半終了)

惰性と消極性と優柔不断がほとんどを占めています。
それがわたし。
大企業に次々と内定を取っていく友達たちを見つつ、私は
「もっとほかに人生の選択肢があってもいいんじゃないか」
と、ずっと思っていました。

育った環境の影響って大きいと時々思うのは、私の頭の中にはもう一つの人生があって、どうしてもそっちの方が自分にしっくりくる気がする時です。アカデミックな世界とはかけ離れているところ。
今後数年の自分の人生を決める分岐点に来た時、現実の人生と、頭の中の人生の矛盾と私はいつも葛藤してしまいます。

さく
突然ですが、私は犬が好きです。
猫もかわいいけど、犬。
子猫の写真なんてずっと見てられるくらい好きだけど、やっぱり犬。
でも私はどうやら猫っぽいようです。
気まぐれで、単独行動を好むところとかがそっくりです。
だけど時々小さなことでパニックに陥るところとかも。
見ている分にはかわいいけれど、触るのは、ちょっと苦手。
それが猫。

犬が好きと言いましたが、私が好きなのは特に大型犬。ゴールデンレトリバーとか、ラブラドール、バーニーズマウンテンまで。
小さな犬もかわいい。チワワとか、ポメラニアンとか。
だけど、なぜだろう、大型犬が私の中では圧倒的に「犬」なのであって、小型の室内犬は、犬ということは分かっているのだけれど、私の中ではなぜか、「猫」という認識。
芝生の上を走っていても、ねこ。
リースでつながれていても、ねこ。
すりすり寄って来ても、ねこ。

私にとって、圧倒的な猫感を出している犬、それが小型室内犬というジャンル。
理由はよく分からない。

関係ないけれど、そういえば日本の大学生だった頃、こんなことがありました。
私が「めがちわわ事件」と呼んでいる出来事です。

ある時後輩と私と私の友達の三人で大学付近の道を歩いていたら、ペットショップの前に通りかかりました。店の中でケージに入った子犬たちが外からも見えました。
目がくりくりしていて、チワワっぽかったので、私(関西出身)が、
「チワワかなぁ」
と言いました。
すると、後輩(関西出身)が、
「目がチワワや」とぽつんと言いました。
私はそうだなぁと思いながら子犬を眺めていると、友達(静岡出身)が
「え、めがちわわ?」
と言って、なぜか混乱している様子だったので、
「目くりくりしててチワワっぽいやん」
と言うと、
「あ、そういうことか」
と納得。
そして彼女はこう言いました。
「メガマックならぬ、メガチワワかと思った」

関西弁と標準語のイントネーションの違いから生まれたささやかなすれ違いでした。
おわり。

さく
こ、こんばんは。。。(おそるおそる)
き、気が付いたら一ヶ月も更新してませんでした。すみません。
先週の一週間だけはブログを更新できないほどの忙しさ、と言っても過言ではないくらいだったのですが、それ以外は至って通常営業だったように思われます。
先週はじゃあ何でそんなに忙しかったんだよ?
と言いますと(誰にも聞かれてないけれど)、ボストンに行っておったのですな。
そう、噂のボストンキャリアフォーラムです。略称BCF。
って、書いてるだけでもおぞましい。私は日本の就活が大嫌いなのです。
なんだろう、あの箱に閉じ込めて、「これ以外に人生の選択肢はないんだよ」と圧力をかけられる感じ。大企業と呼ばれるところへの就職以外は負け犬のラベルを貼られてしまう、あの感じ。
私はキャリアなるものには一切興味が無いので、そこにいる誰とも話が合わず、人事にも私のような人間は一見で追い払われます(実際に追い払われる、ということはないにしろ)。

公務員っていいよね、という思いがふと浮かんでくるような場でした。
以上。

ボストンはちなみに当たり前ですがジョージアよりは断然寒く、そしてきれいなところでした。
観光する余裕などは一切無かったのですが、ボストンに住んでいる友達が連絡をくれ、最終日に数時間、市内観光に連れて行ってくれました。ロブスターチャウダーは美味しかったし、町並みは可愛かったし、何よりすごく久しぶりの友人に会えてとても良かったです。



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(イタリアンのお店が並ぶNorth Endでひときわ長い行列ができていたペイストリーのお店。写真はティラミスとカンノーロ。)

さく
1時間くらい眠った頃、物音で目が覚めると、部屋の後の2人が帰って来たようでした。
白人の男女カップル(後に付き合っているわけではないことが判明する)でした。
「はろう」「この人(眠っている男の子)はあなたの友達?」
「違うよ。同じ日本人だけど、彼は一人で今日日本から着いたって言ってたよ」
「あら、そう」
などと話しているうちに、二人がブラジル人であることが分かりました。
私はドキドキしながら、
「私、日本の大学でポルトガル語専攻だった。。。!」と言うと、
「まぁ!!そうなの?!」
と話は盛り上がり。
しかしネイティブの会話はほとんど聞き取れない(忘れている&あまりまじめに勉強しなかったのです。。。)私。会話はもっぱら英語。不真面目だった自分の学生時代を猛省しました(今も学生だが)。
それから、私はお腹が空いていたので私はひとり、灰色の街に出ました。
全米最大と言われる中華街を通り抜け、ひたすら歩き続け、Pierに出た後、Fisherman's Warfでクラムチャウダーを食べ、ふらふらしながら再び歩いてホステルに戻ると、夜9時半。
部屋に帰るとブラジル人二人がこれから飲みに行くと言うので、眠っていた日本人の子を起こさないようにそっと、近くのアイリッシュバーに行きました。
私がアメリカで何をしているのかということや、夏休みでインターンのため、ロスに滞在していたこと、彼らの一人(男の子の方)はカナダに留学していて、夏休みにアメリカを旅行しているということなどを話しました。
閉店までバーで飲んだ後、さらに近くのリカーショップでビールを買い込み、帰ってホステルでも飲もうということになりました。帰った後は、他のホステルの宿泊者(イギリス人とかドイツ人とか)も巻き込んで、キリンとサッポロの試飲をしたり、ブラジルの政治について話したり、結局朝の3時半まで飲みました。
思えば、この日は色んなことがありました。ほんとに楽しかったなーと、今も時々思い出します。

(続く)
さく
夏の旅行のお話の続きです。
いい加減書き終わらないと記憶は薄れていく一方です。

グレイハウンドに揺られて8時間、途中一回休憩を挟み、霧の街・サンフランシスコに着いたのは午後2時過ぎ。着いてみると、話には聞いていたが、寒い。ここは11月かと思うほど寒い。行き交う人人々はコートにマフラーがデフォルトです。引き換え私はサンディエゴで買ったミリタリージャケット一枚(SDのGAPで買っといて良かったよ)。
着いたはいいものの、今日の宿なしの私は、とりあえず、駅でサンフラン中のホステルに電話をかけ始めました。後で知ったのですが、この日から3日間、大きな音楽フェスがあって、ホステルもホテルもどこも満室状態でした。しかしラッキーなことに、つたない英語で今日の宿をなんとか確保することが出来ました。ふぅ。
歩いて行けそうな距離だったので、近くのカフェで遅めのランチを食べた後、大きなスーツケースを転がしながら歩き始めました(しかし遠かったんだな、これが)。
ご存知の通り、サンフランシスコは坂の街。すごい急角度の斜面に路駐している車が落ちてくるんじゃないかと思うくらい。そんな街を、重さ30キロはあるであろうスーツケースを引きずりながら歩く私。イケメンが「どこまで行くの?持っていってあげるよ」なんて声を掛けてくれるのを期待するも、全く無視され。半泣きでホステルに着く頃には汗だくでした。

チェックインした後、部屋に入るとそこにはすでに先客が。アジア系の男の子が眠っていたので。起こさないようにそろそろと荷物を置く私。4人部屋だけど、他の2人ももうチェックインしているらしく、荷物があるのを確認。男ばっかりの部屋だったらどうしよう、という思いがよぎる私。
そこで、眠っていた彼が起きてしまったので、私は
「Do you know if there is any other girl in this room other than me?」(この部屋に私以外に女の子いるか知ってる?)
と話かけました。
しかし、英語が通じない。
ぎゃあ、どうすっぺよ。と思いながら、
「Where are you from?」(どこから来たの?)
と聞くと、いくつかのやり取りの後、
「Japan」と彼は答えました。
はれ、日本人かいな。と思い、日本語で話す私。
どうやら彼は今日日本から着いたばかりで、初海外旅行らしく。しかも一人。
おお、だから時差ボケで眠いのか、と合点。
しばらくすると彼は再び眠り始め、私も坂だらけの街にまた出て行くのが億劫で、やたら高い二段ベッドの上で眠り始めました。

(続く)
さく
今日は英語のお話。
日本人過疎地域(今セメスターは例外的に多いが)に暮らし、対人コミュニケーション(対人以外のインターアクションもコミュニケーションと呼ぶのか、という議論はとりあえず今はさておき)はほぼ100%英語だと、ノンネイティブの中でもさらに日常英語を使うことのない国(アジアの国でも英語が公用語でなくても、日本くらい英語を普段から話さない国ってあんまりないのではないかと思ってしまいます。日本以外のアジア圏の国には行ったことないけれど)から来た私にとっては、英語っておもしろいなと思う時がよくあります。

例えば、アメリカ人と話しているとき、たまに「およ?今なんて言った?」と聞き返すと、
なぜかしらん、確実に私のリスニングが弱いせいなのですが、ネイティブたちは自分の発音がよろしくなかったかのように、「ごめんごめん、○○だよ」と言ってくれます。
私への気遣いからそう言ってくれているのかなと、在米期間の浅いうちはそう思っていたのですが、どうやらそういうわけでもなさそうです。
というのは、たまにそういう話が出てくるのですよね、人によって発音の仕方が違う単語があったり。
例えば、dataという単語だと、
「データ」か、「ダータ」かはアメリカ人でも、人によって違います。
日本語でも地方出身だと方言の影響による差はありますが、英語のそれはちょっと違う気がします。方言ではなく、スタンダードが無い感じ。どれが亜流だとか標準だとかが分かりづらい。

そして、授業のシラバスには
「エッセイ(日本語ではレポートですね)は正確な文法・スペリングで書くこと」というような注意書きがだいたいあります。
それってクラスには留学生もいるから書かれているんじゃないの、と思うかもしれませんが、おそらくそうではありません。ネイティブも普通に間違ったりするのですね。

それって日本語ではあんまりないなぁ、ネイティブはけっこう適当な英語を使っているのか?英語ってそういう言語なのか?と、私はずっと思っていたのですが。
でもよく考えれば私も日本語にあまり自信が無い。こうやってブログを書いているときも言葉が頭の中で見つからずに歯がゆい思いをしている。日本語を教えるのも、これって正しい日本語なのか?と時々分からなくなる。
つまり、日本人の間でも、「女子力」ならぬ「日本語力」っていうの、人によって差があるんじゃないかな、と思うわけです。私は圧倒的に語彙が少ないなと、人と話しているときですら思います。
そんなこと考え始めると、もう英語なんか放り出して日本語の勉強したくなります。

ロサンゼルスには日本人が多くいますが、彼らの話す日本語は独特です。
夏にお世話になったインターン先の方が
「生きている日本語と切り離されているから、すごく独特な日本語をここの日本人は話している」とおっしゃっていたのが印象的でした。
私はぼんやり程度にしか意味は分からなかったのですが。

生きている日本語に触れたいなぁ、と、日本語を懐かしく思うこの頃です。

さく
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さてはて。
記憶を8月一週目に戻しまして。
トーランスにインターンのために二ヶ月半ほど部屋を間借りして滞在していたのですが、契約は二周目の火曜(だったはず)に切れることになっておりました。
実はその前日までこの夏休みはもうずっとトーランスに滞在しようと思っていたのです。免許取得のために。しかし、アメリカは自動車免許取得が日本と比べると破格に安いとはいえ、それは教習所に行く必要がないからなのです。もし自分で行くと、おそらく日本と比べても多少安いか同じくらいかにしかなりません。免許を取ろうと思ったら、車を貸してくれ、練習に付き合ってくれる人が必要です。なので、仮免まで取ったものの、潔く諦め、残りの夏休みはとりあえずロサンゼルスから出ることを決意しました。
そして、翌日の早朝発のバスを予約。ダウンタウンのリトルトーキョーの近くのホステルに当日予約を入れ、大きなスーツケースを持って、昼過ぎに私はトーランスを離れました。

バスを乗り次いでホステルに到着すると、周辺はもはやメキシコ。スペイン語が飛び交い、歩いている人も店の人もみんなメキシコ人。スーツケースを転がす日本人は相当目立ちましたが、なんとかホステルに着き、夏休みを利用してアメリカを旅しているという同じ部屋のロシア人の男の子と仲良くなりました。

彼はなぜかイギリス英語にあこがれているようで、「見て!これ面白いから!」と言って、イギリス英語とアメリカ英語の違いを説明している動画を見せられたり、練習に付き合わされたりした後、リトルトーキョーのラーメン屋さんに行きました。ロス近郊では有名なチェーン店で、とても美味しかったです。
その後。ホステルに帰り、イケメンチリ人と話したり(彼はロシア人の子とイタリア人の真似をしておもしろがっていた)、ロシア人の子と連絡先を交換したりしたものの、私は翌日5時過ぎにホステルを出て、ユニオンステーションに向かいました。
ロサンゼルスのユニオンステーションはなかなか立派なつくりで、早朝からスタバも開いているし、セブンイレブンもあるし、思ったよりも素敵でした。
そして8時間ほどバスに揺られた後、午後2時過ぎについに霧の街・サンフランに着きました。

続く