前回、「昔話1」の続きです。
定期的に異動してくる上司は、ほぼ全員がスピードを最重視していた。
そのため、上司からの仕事には速攻で対応することが求められ、どこかでミスが
みつかると速攻で対処しながらの報告も求められた。
誰のミスであろうと、再発防止策を考えるのもたいてい自分に振られた。
上司への「ほう・れん・そう」(報告・連絡・相談)もここで叩き込まれた。
人の分の仕事まで首を突っ込まざるを得ない立場になると、当然自分が担当する
仕事にしわ寄せがくる。ひたすらこなすしかなかった。
たいてい仕事は同時進行しているので、一応の優先順位をつけて終わらせていく。
終わると即座に次の仕事に取り掛かった。「待ち時間」のある仕事ではなかった。
少しでも進めておかないとまたいつ何時突発的な仕事が入ってくるかわからない。
いつでも時間に追われていた。
肩が痛くなろうが腕が痛くなろうが、ただの肩こりの延長と思い込み、病院に
かかろうという認識を持てなかったのはこの辺りにも原因があるのかもしれない。
肩だの腕だの気にしている場合ではなかったのだから。
とにかく毎日が緊張の連続だった。
仕事は速く・正確に・周囲の空気を察知しながら、依頼物(上司や他課、外部)は
優先的に終わらせる、ミスには速攻で対応する。
そんなことは誰でもがやっているだろうと思う。
別に自分ひとりだけが大変だったというつもりは毛頭ない。
自分より大変な仕事の人は沢山いらっしゃるのは承知している。
そういう話は直接・間接的に山ほど聞いていたので、自分はまだましなのだと
思っていた。
ただ、少なくとも自分の周りだけを見た場合、緊張の連続と時間に追われていた
人はどのくらいいただろうと考えてしまう。
(何かを責めたいのではなく、ただの事実)
当時の口癖は、「暇じゃない」や「今日の明日という仕事を持ってこないで」
だった記憶がある。(他にもあったけど)
「暇じゃない」は自分より大変な仕事をしている人の話を聞いていて、「忙しい」
と自分がいうのはおこがましい、と思った結果。
「今日の明日という仕事を持ってこないで」は、本当に急な仕事ならともかく、
早めに依頼できる仕事をぎりぎりまで持ってこないことに対する怒り。
「今日依頼して明日まで」の類の仕事は、忙しい人からの依頼か、暇な仕事の
仕方をしている人からの依頼か、たいていどちらかだったりする。
不満ばかり持っていても仕方ないので、後者からの仕事依頼には必ず早めに
持ってきて欲しいと、そのたびに言葉を変えてはお願いしていた。
わからない人はわからないもので、たいてい同じ人がぎりぎりになってから
依頼してくるというのは結局変わらなかったけれど。
仕事でいっぱいいっぱいな状態になっていっても、気分転換ができていた時期も
あったと思う。今更考えても仕方ないけれど、その当時に肩や腕の痛みについて
どういうことか気づいていれば、結果はまた違ったものになったはずだ。
肩や腕の痛みだけでなく、休日に休んでも全身の疲れが抜けない状態の頃には
本当に何か別のことを考える余裕はなかった。仕事をするだけで終わっていた。
休日はひたすら泥のように横たわって終わっていた気がする。
年間休日は全てを併せても100日を切っていた。
土・日・祝日・夏季休暇・年末年始休暇が普通に取れる会社ならば、それだけで
100日を超える計算になる。
夏や年末年始休暇はあったけれど、土曜営業もしていたので完全週休2日ではなく、
休みのはずの日・祝日も出勤があった。就職してみないとわからないものだ。
その分は一応振替で休みがとれたとはいえ、休みはコンスタントではなかった。
仕事には季節によって波があった。(忙しい、か、ものすごく忙しい)
「後悔先に立たず」とはよくいったものだなと思う。
今思い出しながら書いてみても、何であんなにがむしゃらに仕事をしていたのか
わからない。そういう状況に置かれていたとしかいいようがない。
長々とした昔話を読んでくださった方、ありがとうございました。
随分凝縮して書いたのでこれが全てではないのですが、こんな感じでした。
感傷にひたりたいわけでも、こんなに大変だったといいたいわけでもありません。
余裕のなさは自分の身体の異変を見落とす危険があると申し上げたいのです。
一個人の体験談なので、これだけで決め付けるつもりはもちろんありません。
ただ、「適度」「ほどほど」という言葉とは無縁の世界にいたから、罹患したとも
いえるかなと思います。なかなかそういう性分は抜けないものですね。
今も実感しています。
定期的に異動してくる上司は、ほぼ全員がスピードを最重視していた。
そのため、上司からの仕事には速攻で対応することが求められ、どこかでミスが
みつかると速攻で対処しながらの報告も求められた。
誰のミスであろうと、再発防止策を考えるのもたいてい自分に振られた。
上司への「ほう・れん・そう」(報告・連絡・相談)もここで叩き込まれた。
人の分の仕事まで首を突っ込まざるを得ない立場になると、当然自分が担当する
仕事にしわ寄せがくる。ひたすらこなすしかなかった。
たいてい仕事は同時進行しているので、一応の優先順位をつけて終わらせていく。
終わると即座に次の仕事に取り掛かった。「待ち時間」のある仕事ではなかった。
少しでも進めておかないとまたいつ何時突発的な仕事が入ってくるかわからない。
いつでも時間に追われていた。
肩が痛くなろうが腕が痛くなろうが、ただの肩こりの延長と思い込み、病院に
かかろうという認識を持てなかったのはこの辺りにも原因があるのかもしれない。
肩だの腕だの気にしている場合ではなかったのだから。
とにかく毎日が緊張の連続だった。
仕事は速く・正確に・周囲の空気を察知しながら、依頼物(上司や他課、外部)は
優先的に終わらせる、ミスには速攻で対応する。
そんなことは誰でもがやっているだろうと思う。
別に自分ひとりだけが大変だったというつもりは毛頭ない。
自分より大変な仕事の人は沢山いらっしゃるのは承知している。
そういう話は直接・間接的に山ほど聞いていたので、自分はまだましなのだと
思っていた。
ただ、少なくとも自分の周りだけを見た場合、緊張の連続と時間に追われていた
人はどのくらいいただろうと考えてしまう。
(何かを責めたいのではなく、ただの事実)
当時の口癖は、「暇じゃない」や「今日の明日という仕事を持ってこないで」
だった記憶がある。(他にもあったけど)
「暇じゃない」は自分より大変な仕事をしている人の話を聞いていて、「忙しい」
と自分がいうのはおこがましい、と思った結果。
「今日の明日という仕事を持ってこないで」は、本当に急な仕事ならともかく、
早めに依頼できる仕事をぎりぎりまで持ってこないことに対する怒り。
「今日依頼して明日まで」の類の仕事は、忙しい人からの依頼か、暇な仕事の
仕方をしている人からの依頼か、たいていどちらかだったりする。
不満ばかり持っていても仕方ないので、後者からの仕事依頼には必ず早めに
持ってきて欲しいと、そのたびに言葉を変えてはお願いしていた。
わからない人はわからないもので、たいてい同じ人がぎりぎりになってから
依頼してくるというのは結局変わらなかったけれど。
仕事でいっぱいいっぱいな状態になっていっても、気分転換ができていた時期も
あったと思う。今更考えても仕方ないけれど、その当時に肩や腕の痛みについて
どういうことか気づいていれば、結果はまた違ったものになったはずだ。
肩や腕の痛みだけでなく、休日に休んでも全身の疲れが抜けない状態の頃には
本当に何か別のことを考える余裕はなかった。仕事をするだけで終わっていた。
休日はひたすら泥のように横たわって終わっていた気がする。
年間休日は全てを併せても100日を切っていた。
土・日・祝日・夏季休暇・年末年始休暇が普通に取れる会社ならば、それだけで
100日を超える計算になる。
夏や年末年始休暇はあったけれど、土曜営業もしていたので完全週休2日ではなく、
休みのはずの日・祝日も出勤があった。就職してみないとわからないものだ。
その分は一応振替で休みがとれたとはいえ、休みはコンスタントではなかった。
仕事には季節によって波があった。(忙しい、か、ものすごく忙しい)
「後悔先に立たず」とはよくいったものだなと思う。
今思い出しながら書いてみても、何であんなにがむしゃらに仕事をしていたのか
わからない。そういう状況に置かれていたとしかいいようがない。
長々とした昔話を読んでくださった方、ありがとうございました。
随分凝縮して書いたのでこれが全てではないのですが、こんな感じでした。
感傷にひたりたいわけでも、こんなに大変だったといいたいわけでもありません。
余裕のなさは自分の身体の異変を見落とす危険があると申し上げたいのです。
一個人の体験談なので、これだけで決め付けるつもりはもちろんありません。
ただ、「適度」「ほどほど」という言葉とは無縁の世界にいたから、罹患したとも
いえるかなと思います。なかなかそういう性分は抜けないものですね。
今も実感しています。