トイデジ男の桜めぐり | セ、セ、センスがイイネ!

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本日の話題はおもちゃカメラ、トイデジです / VistaQuest VQ1005

 

 

プラスチッキーでジッポライターぐらいのサイズ。

ケースをスライドさせるとぴょこっとファインダーが飛び出すギミック。

 

そんな、誰が見ても「ゆるいカメラ」にしか見えない、キーホルダー型おもちゃカメラ。

それが VistaQuest VQ1005 です。

 

ざっとググってみたところ 2006年製のオリジナル版と 2008年製の再生産版があるそうで。

写真フォルダを確認したところ、わたしがこれをヴィレバンで購入したのは 2011年の正月。

 

なので、これはおそらく再生産版の個体なのですね。

十四年目にして初めて知りました。

 

 

桜の季節は急に来て、そして去るのも早いのです

 

 

コンデジで桜を撮るついでに、こいつでも撮ってみたのです。

ジャケットの、右のポッケにはコンデジ、左のポッケにはトイデジ。

本格派だなあ。

 

コンデジで撮った桜がエモく写っているのかは、実はわたしにはよくわからないのですけれど。

 

このカメラで撮ると、露出不足気味に写る感じが、昔々の使い捨てカメラっぽくて。

解像の足りていないところはガラケー時代の写メっぽくて。

 

昭和世代も納得のエモーションが写せるなって思っています。

 

 

晴天なら良かったんですけど曇り空だったので露出不足

 

桜が暗すぎるのもあれなので、後からPCで明度をいじってみました

 

太陽が写り込むと黒点になります

 

 

『桜の下には死体が埋まっている』

 

 

桜を探しつつ、ぶらりぶらりと、普段は来ない地区まで歩きました。

小学生の頃はそれこそ毎日のように遊びに来ていたところです。

 

そのあたりには友だちが住んでいました。

二十歳そこそこで死んでしまった友だち。

幸いなことに、わたしが友人の少ないタイプだからか、これまでに死んだ友だちは彼だけです。

知らないだけかもしれないけれど。

 

この道であいつと遊んだなあと、思い出しながら歩きます。

 

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小学生の時分、わたしもあいつも目立つ子どもで。

いわゆるガキ大将の二大巨頭でした。

わたしは知力担当であいつは暴力担当。

 

あいつはとにかくなにか強い生き物でした。

試しに頭突きしてみたら、わたしの額の方が割れたのはいい思い出です。

あいつの頭蓋骨は通常よりぶ厚いんだって思ってました。

 

中学に入り、学年が上がるにつれ、あいつとはちょっと距離ができました。

相変わらず仲は良かったので、学校内では話すこともあったのですが。

放課後は滅多に一緒に過ごさなくなったのです。

 

わたしもあいつも性格が変わったということもなかったのだけれど。

思い返せば、周りに集まって来る人間に違いがあったように思います。

わたしが友だちに数学の解法を教えている一方で、あいつは不良を名乗るお調子者をぶん殴ってました。

 

そして、中学三年の終わりでした。

わたしがちょうど受験を終えた頃、あいつは過去の悪事がバレて推薦合格の取り消しを食らったのです。

 

教室でうなだれて座っていた彼に、鬼教師の異名があった担任が、さすがに仏心を出して声をかけました。

「なあ、おい、元気だせよ?」

「……ああ!?へこんでねえよ、『あしたのジョー』を気取ってんだよ!」

ああ、あの、燃え尽きて真っ白になるシーンか。

 

結局、彼は地域でも最底辺として知られた工業高校へと進学します。

 

そのわずか三か月後、高校一年のゴールデンウィーク明け。

風のうわさで彼が早くもその高校で頂点に立ったと耳にしました。

あいつ、鼻血とか出すと、本当にうれしそうに笑うからなあ。

先輩たちも気持ち悪かったことでしょう。

 

最後にあいつと話をしたのは、たしかわたしが大学二年の夏のこと。

近所のファミレスで別の友人と飯を食べていたときでした。

たまたまあいつが店に入って来て、わたしを見つけたのです。

 

聞けば、高校卒業後は、自衛官勧誘の激しい追撃を振り切って。

親族のいるタイへ渡って、なぜかムエタイを習っていたのだとか。

日焼けして筋肉がついていたけれど、笑った顔は何も変わっていませんでした。

お土産だといって坊さんの描かれたペンダントをもらいました。

 

そして、その冬。

あいつが死んだと報せがあり、小雨の降る夜、共通の友人の車に乗って斎場へと行きました。

 

中学以来の、懐かしい顔が、葬儀場には溢れていました。

聞くところによると、あいつは深夜の国道で、停車中のトラックに突っ込んだんだそうです。

硬い頭もムエタイも、自動車事故には歯が立ちません。

それでも死に顔はきれいだったのが救いではありました。

 

斎場を立ち去る時、ふと振り返りました。

明かりと人声の漏れる入り口の端っこ、ぎりぎり光が届くか届かないかのところ。

小雨の降る中で、すらりとした女性が一人、泣いていました。

 

ああ、気の毒だな、でも。

それでも、あいつにもそういう人がいたんだ、よかった。

そう思ったことを今でも憶えています。

 

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中学校を卒業して以降、これといった付き合いもなかったあいつですが。

それでも、またいつか、人生のどこかで接点があるだろうという確信めいた変な予感が、わたしにはありました。

見事に外れたわけですけれども。

 

思い出してみると、あいつの印象は強くておもしろいやつのまま。

どれだけ歳月を経ようとも、ずっと変わらずいいやつのままなんだよなあ。

きっとそれは、あいつが狡さとか小賢しさとかが染みついていない、二十歳そこそこで逝ってしまったから。

ずるいやつだな。

 

でもまあ、たまには思い出してやらないと、だよな。

あの夜、斎場入り口の脇にいた女性、彼女もたまには思い出すのかなあ。

 

桜を探してあいつの家の近所をうろつきながら。

すっかり狡さとか無駄なぜい肉が身についてしまったわたしは、そんなことを考えていました。

 

「桜の下には死体が埋まっている」。

 

それが何を意味するフレーズなのか、確かなことは知りませんが。

ひさしぶりに死者のことを思い出した、そんな桜めぐりでした。

 

 

たまには飛行機雲を見つけてみる

 

たまにはノーファインダーで撮ってみる

 

亡き友の話はいつだってエモいものです