「旧皇族の宗家・伏見宮家に生まれて」を読みました。
多分数年前に買って本箱に並べたまま忘れてしまい、購入の動機もなんだったかな?の状態で読み始めたのですが。。。
凄く面白い。一気呵成に読んでしまいました。
よくある口述筆記風にゴーストライターがうまく改変してしまうパターンでなく、元皇族伏見宮博明殿下、現・伏見博明氏に対する完全なインタビューです。
言葉をそのまま、曲げずに伝えようとする姿勢が伺われました。インタビュワーの文言は一段下げて書かれてあります。
これに前後の解説が加わります。
伏見宮家は室町時代の崇光天皇の第一皇子英仁親王を祖とする家系で、代々天皇家に後継の生まれない時には同家から天皇を出し、逆に親王家に後継者なき時は皇子が養子に入る、というもう一つの天皇家とでもいうべき血統のバックアップを主目的とした家系。
そこから分家した多くの宮家があるものの、宗家と位置付けられる血筋。
天皇家に何かあったら全力でお守りする、という意識を陰に陽に刷り込まれて育てられ、ノーブレス・オブリージュの意識や、常に皆に見られているという意識も持たされるようです。
特に男子は、すぐに親兄弟と離れて育てられます。
また明治天皇の頃から、宮家の男子は海軍または陸軍に入ることになっており、その任務ゆえにむしろ寿命を縮めてしまわれた宮様もおられたのですが、それはむしろ当然のことと理解されていたようです。
数ある宮家の宗家筋だった伏見宮家の実家は紀尾井町のホテル・ニューオータニを含む21,000坪の敷地で70人を超える使用人がおり、博明氏の居室と祖父・両親・兄弟の居室は離れていて、食事も睡眠も別々にとっていたとのこと。
父・博義王は早くに喘息発作で他界。父がわりの祖父・博恭王は海軍トップであり、蘭栽培と狩猟が趣味で、敷地にはスキーができる坂、4つの温室や猟犬を飼育・繁殖するための犬小屋もあり、犬は常時40-50匹いたという。
「ブルガリが店を構えているあたりは、犬小屋だったんだけどね」という言葉が印象的でした。
また家族それぞれに別荘があり、祖父のは熱海、父のは逗子、母のは片瀬、それとは別に軽井沢、という具合。
買い物はお店から自宅に出向くパターンが多かったものの、開店前の三越や伊東屋を貸し切ってすることもあったよう。
戦前の学習院は、皇族華族一部の財閥向けであり、そこに通うのですが必ず車で送迎。またご学友が決められ、教育係が一緒に聴講して帰宅後その教育係が復習予習。窮屈な面もあったようです。
しかし、敗戦後、宮家の特権はGHQにより剥奪。皇籍離脱と財産税課税が課せられます。
博明氏は10代半ば。伏見宮家は85%の財産税でした。元々いた使用人は皆宮内庁職員だったので特に出費は不要だったものが、戦後は給与を支払うこととなったそうで5人に縮少。生活面では大きく変化せざるを得なくなりました。
それでも、伏見宮家は広大な土地があり、それを売却して凌いだようです。多くの宮家は資産の切り売りで凌いだのですが、宮内庁の土地を間借りしていた宮家は大変だったよう。
皇族としての身分を剥奪されて嘆き悲しむ方もいる一方で、伏見博明氏はまだ若かったのか、自由になれる、という気持ちも同時に抱かれたようで、大学は米国へ留学。また、突然の変化で困窮した皇族も多かったものの、事務的なことは何かと宮内庁職員がサポートして凌いだようです。
帰国後は外資系の石油会社の営業職となりますが、そこは普通のサラリーマンとは違って、コネクションを活かした営業をなさいます。
一般人として生活しながらも、旧皇族として祭祀などにもたずさわる日々。
印象深かったのは、昭和天皇陛下のご葬儀に参列しての感想です。
「陛下のご葬儀は、日本の古い伝統文化を見ているようでした。すべてが千年前の時間軸で進み、寒くても雨が降っても、静かにじーっとしている。千年前の日本人はこういう時間軸で自然というものとこういう関わり方をしていたのかと。」
すーっと心に染み入るような言葉だなぁと。
日本文化の真髄が、原石のそのままに、タイムカプセルに閉じ込められたような場所、それが皇室なのかな。そういう感想を持った次第です。
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