【茨城生活61日目】なぜ茨城で働いているのか? | ハイリスク Vo.栗原裕治  BLOG 「I have a dream」

ハイリスク Vo.栗原裕治  BLOG 「I have a dream」

新宿、四谷でバンド活動をしている「ハイリスク」のBLOGです!。

ここ数か月で自分にあった出来事を振り返ります。
今年の8月からの出来事です。

なぜ茨城県に住んで、働いているのか。

デニーズでの仕事、勤務はとても充実していました。
10年自営業のお店を続けてこれたのはダブルワークのデニーズが、収入面で何度もピンチを助けてくれたおかげです。

デニーズの仕事は好きですが
働いてるお店が24時間営業をやめ、深夜営業をやらないことになり、時間短縮営業が決まった時もう一度自分の人生を見つめ直そうと思いました。

一番に思ったのは、両親を喜ばせたいと思いました。

僕はずっと両親に迷惑をかけて生きてきました。

ヨボヨボの二人。二人とも70歳ぐらいなのですが、ここで最後になるかもしれない親孝行が出来たらと。

2つ目に思ったのは、自営業の「ゆう」を再建、回復させる事。


それをふまえて、「自分の選択肢」を2択にしました。

一つは、

・父親が50年以上応援している、横浜DeNAベイスターズの球団スタッフを受けてみる。

そしてもう一つは、

・自動車部品工場で働く。



この2択に絞りました。

ずいぶん違う2択だと思いますが、自分の中ではどちらもやってみたい仕事でした。



今年、追浜にある横浜DeNAベイスターズのファームの施設が全面的に新しくなりました。

ファームの青星寮で働く調理師を募集していて応募してみました。調理師の資格はあるので良い機会だと思いました。

試験は面接と実技。
生まれて初めて8月に、関内のハマスタ近くにあるDeNAベイスターズ球団事務所に行きました。

実際の面接なんですが、

凄い良い面接が出来たんです。本当に自分の思いを全て伝えられた。




あの面接は、とても良かった。僕はこんなに自分をアピールできるんだと。
凄く自分の自信につながりました。





結果なんですが、落ちました。


なかなかうまくいきませんね。時間が凄くかかって落ちました。
やはり凄く狭き門で、時間をかけて身辺調査などをするみたいですね。


ただ、もし通っていたとしても、球団職員ではなく、あくまでもスタッフでしたので、自分が思う「ゆう」の復活は難しかったと思います。
球団の調理師として全ての時間を費やす事になったと思うし。


採用結果には両親は残念そうでしたね。いつものように笑ってましたが。親孝行は出来ずに終わりました。



そこでもう一つの思い。自動車工場勤務なのですが、寮があるところに入りたいと思いました。

神奈川も多くの工場があり、日産など、追浜や子安に工場があるのですが、神奈川在住で神奈川の寮には入れないとの事。神奈川では自宅から通うという事ですね。

自分はデニーズで店長を務めている時、群馬、栃木、埼玉で店長をしていたので地方都市の住みやすさは解っていました。凄く住みやすい。

車があればですけどね。車がなければ生活はどうにもならない。

僕は車を持っているので何の問題もありません。

そしてなんとなく思っていたのは、茨城での勤務。たぶんその寮(会社が借りてくれるワンルームのアパート)は豪華だろうと思っていました。寮は水光熱費以外は無料です。

自分が選べるわけではないのですが、部屋は最高でしたね。広くて静かできれい。風呂も大きくてリラックス出来ます。


そんなこんなでベイスターズのスタッフにはなれませんでしたが、茨城での工場勤務に仕事を決めまして、今茨城の部屋で快適な時間を過ごしています。

今日で茨城に来て61日目。

仕事はキツイですが、だいぶ慣れてきました。

自動車部品のエアバッグを作る工場なのですが、僕は製造部門ではなく、部品を供給する部門ですね。工場は約300人。供給部門でも100人います。

24時間稼働していて夜勤もありますが、夜勤は人生でずっとやってきましたから。

どちらかというと工場内の仕事では、僕の仕事は力仕事の部類ですが、仕事終わって帰れば、リラックス出来る豪華な部屋があるので、ゆっくり寝てお風呂に入って疲れをとっています。

工場の先輩も面倒見が良く、人間関係は良好です。

北関東の人間は「義理と人情」の溢れた人が多いのは、来る前から解っていたいましたが、本当に良い人ばかりですね。


この工場に来るまでに、とても親身になってくれたいろいろ手配してくれたり、こちらでの生活を助けてくれた社員さんも何人もいますし、こちらの工場でも良くしてもらっています。本当に一人一人に日々感謝しています。



僕が働く期間なのですが、数か月のアルバイトと思っている方もいると思うのですが、自分の中では、3年間は今の工場で働く予定でいます。

横浜のお店なのですが、続けます。まだ茨城に来て60日間で一度しか帰ってませんが。いろいろ落ち着いたら、頻繁に帰って営業したいなと。



こちらで働いているのは、「ゆう」を再建させるのが目的ですから。




11月9日(土)に茨城の工場の部署の仲間が集まって歓迎会を開いてくれました。12人男だけでカラオケ。楽しかったです。

茨城と横浜での生活。なかなか大変ですが、思った通り、来て良かった。

ここから資金も回復させますので、「ゆう」にもご飯食べに来て下さい。

12月、忘年会来て下さる方、楽しみましょうね。最高の料理をご用意してしてお待ちしています。

人生はいつも挑戦です。思っている事必ず成功させます。