村上春樹さんの作品、ねじまき鳥クロニカルを初めて読みました。
村上春樹の著書はノルウェイの森から始めて、ほぼ読んだのですが何故かこの本は以前から第1章の本を最初のページから数十ページ読んで、ずっと読まずじまいでした。
それもねじまき鳥クロニカルの最初に主人公の身の回りに起こる事件、飼い猫が居なくなる所です。
今回は全て3部とも読み終えました。
この物語で感じたのは日常の中で当たり前にある光景、そして周りにいる人々、それらが急にある日を境に同じ光景でありながらも微妙に違って見えて、その微妙な感じから拡がる世界は大きく変わっていたり
親しき人の不在、 急な不在、 それは現実の世界の中でも様々な形で私たちの世界にも起こりうる事であって
そもそも人は何かを主観的に自分の中で持っていて、意識はその主観性のレンズを通して、目の前の世界を観ているものだと私は感じています。
全く同じ主観性のレンズを通して何かをみることは現実的には不可能なのだと思います。
そういう根本的な相違を互いに持ちながら人は自分とは全く違っていたり、少し似ていたり
でもそれを思うのは自分自身であって、相手は大きな相違を感じでいるのかもしれない
そういうのは側から見たら考え過ぎなのかもしれないけど、私はそういう人の捉えようない心に今日まで多く触れ合い生きてきて過程を非現実的に感じてしまいます。
そのような不確かな無常な主体的なものを通して目の前に拡がる世界を観ている私が観ている世界もやはり
不確かであると思わずにはいられない。
だからこそ、私が今、見ている世界に空虚や退廃や悪を見ずに 出来るだけ穏やかで 平穏な世界を観れればと思いました。
久しぶりに自分の思いを文章に記すので、脈絡のない、ふわふわした文章になりましたが
村上春樹さんのねじまき鳥クロニカルを読んで感想を記したい所からこのような話になり中途半端な形で結ぶことになります。
