御存じの通り、参議院選を目の前にした選挙期間の最中、安倍晋元首相が"銃撃"されなくなった。

 

銃撃という聞きなれない言葉とともに到来したニュースは、混乱とともに「もしかして右翼に殺されたか??」という一般とはかけはなれた(と私は思う)感想を筆者にもたらした。というのも、故人に向かって言うのもなんだが、どこか安倍は軽すぎる気がして仕方がなかった。アベノミクスも、いくら難しいことを並び立てても、要は「お金たくさんすりまっせ、みんな使ってや」的な発想に収束せざるを得ず、まして震災後とは言え、戦時と違い莫大な需要があるわけでもない状況では、特大インフレが待ち受けていたようにしか私には思われなっかのだ(当時は有権者の年齢に達していなかったことを恨む)。そういうわけで安倍を保守・右翼とみなす勢力はお笑い種、といった感じ、ていうかアメリカの手先やろお前、みたいな感があったわけだが、殺された理由が案外に同じで笑えない次第であります。

 

とにかく、なんでも安倍を国葬にふすことが決まったとか。9月27日、というのが日程らしいが、これがネットで3が某教団の原理数で関係ありすぎやろ、ということらしい。なんでも本国にある「殿堂」も総工費333億円で、関係ありげなわけだが、容疑者のツイッターアカウントがsilent hill 333で、この3,ということらしい。一方で333→さんがみ→容疑者という指摘もありそうなるとなんだか「因縁」めいてくるわけだが、そういや安倍普通に先祖の「因縁」でころされてね?という話にはなる。さらに自民への教団の食い込みがあったとして(ていうかあるけど)、これぞほんとの「オトモダチ内閣」っていう。

 

まあそれはいいわけだが、私としては、どうにも国葬の理由がなっとくいかない。時間もたっていないのに、政策基準とは何事か、というはなしで、素直に「長ーく首相を務めた議員が殺されたから」でいいわけである。これならだれも文句が言えない。なんであれ民主的に選ばれた首相の正当性は否定できない、というわけだ。

 

ここで、である。話は飛ぶが、私はずっと昭和天皇のように、靖国にA級戦犯合祀は反対、であった。しかし、待ってほしい。かれら、A級戦犯も、なんであれ、また結果もどうであれ、明治憲法のもとで国家主権のためにはたらき、重要なことに、天皇の同意、命令のもとに正当性をもっていたわけである。ちょうど、安倍が現行憲法のもとで正当性があるように。このように考えると、なぜ、A級戦犯だけだめなのか、少なくとも我々庶民には同じではないのか、という結論に達せざるを得ない。ここに、大きすぎる境界線があるわけである。だから、むしろ昭和天皇の反対は、純粋に政治的なものだとみたほうがよい。

 

私が言いたいことは以上であるが、私は民主主義と現代的個人主義の帰結から、死刑制には反対しています。最後に、教団系のアメリカの新聞の委員会には、マッカーサー2世がいたそうです。あと、オトモダチ内閣って、20世紀少年のネタのつもりなので、そこんとこよろしく。