全集84巻
.2018/05/29 04:48
火曜日
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「技術」は教えられるが、「技能」は教えられない。「技能」を「教える」ことはあるが「身につける」のは本人の努力である。それも、並外れた努力によって・・・。そのような「学び」の場が「教師」にあっても良いと思っていた。いや、必要と思っていた。
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技能を身につけるには自分で努力するしかない。
反復練習を重ねる。
自分で練習を工夫する。
精密練習をする。
上達の法則にのっとって、正しい努力をしていくのだ。
自分の技能を磨くのは自分にしかできないのである。
.2018/05/30 05:33
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教員室で、子どもの悪口を言う教師に、ろくな人はいない。「教室での子どもの様子」は、多くの場合、教師の技量の反映である。技量が低い教師の教室では、子どもが荒れる。授業がつまらないからだ。それ以前に教師が「何を言っているのか」「教師が何を求めているのか」分からないからだ。
わけの分からない授業が毎日くり返され、毎日のように怒鳴られていれば、子どもは荒れる。
原因は、教師の未熟さになる。
(中略)
教師の技量が上がれば、クラスは安定する。しかし、安心していると、ときとして問題が発生する。しかし、それは「もっと上達しなさい」という神様の試験問題なのだ。この試験問題は、実にドラマチックに、そのときどきにふさわしいレベルで生涯続いていく。
「一生、勉強」なのである。
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一生勉強、一生青春。
まさにその通りだ。
教師を続ける限り、子どもの前に立つ限り、教師修業は果てしがなく続いていく。
授業作り、特別支援対応、自分の人間力を磨く、向山型の追究・・・・
やるべきことは山ほどある。
自分が学び続けること。
これがプロの教師になるために、自分にできるただ一つのことなのだ。
学び方は様々にある。
良書を読み込む。
サークルに通う。
セミナーに参加する。
自分でノートをとる。アウトプットする。
このような修業を一生続けていくのだ。
もちろん、自分に許される範囲でだ。
身銭を切るのも、セミナー・サークルも自分に与えられた条件の中で全力でやればいい。
教師修業を楽しもう。
.2018/05/31 05:26
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プロの技量は、みがきぬかれた腕である。修業の結果である。
安定したシステム、ゆったりとした流れができるまでには、修業の日々があった。私は、教師になって退職する日まで、毎月二回の(新卒の頃は毎月四回の)「サークル」に出席していた。入院していた時期をのぞいて、欠席したのは、三日もない。十数年間に一度の欠席だ。
私にも、日常的なさまざまなことが生じる。学校の仕事だって次々生まれる。学級担任をして教務主任をして、公開研究の責任者だったこともある。それに加えて、法則化、TOSSの代表だった。
そんな中でもサークルを欠席したことはない。(中央事務局会議を欠席したこともない)。それはすべてに優先しており、時間のやりくりをしたのである。
「修業する」ということはそういうことだ。「できたら出席します」「なるたけ出席します」などということは、私の修業の場にはなかったのである。
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俺もこういう人生を歩みたい。
サークルを続ける。
これが俺の教師修業の8割だ。
自分がしんどい状況にあってもサークルに参加する。
自分が子育て中でも、サークルには参加する。
セミナーは無理でもしょうがない。
時間的にも金銭的にもいけない時期がある。
しかし、サークルは無料だ。
サークルは近場でやっている。
サークルを一生続けること。
これが俺の教師修業なのだ。
毎月2回のサークルを自分の最高の教師修業の場にしよう。
.2018/06/01 05:16
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仕事を遂行する能力をもつ人をプロという。いかなる仕事にもプロの技がある。「跳び箱が跳べない子を二分で跳ばせられる」「算数テストが五点の子を満点にさせられる」「子どもが熱中する授業をすることができる」「大学生でも書けないような高度な評論文をどの子にも書かせられる」このような事実を、与えられた授業の中で実現していくのがプロだ。プロの入口に達するためには、本気の修業が五年は必要だ。いかなる仕事も同じだ。もちろん、未解決のことも多い。そのため研究の場がある。研究の場では「公開・平等・自由・実証」などが大切だ。ところが東京足立区の体育の研究会では意見を言った教師に管理職がきびしくクレームをつけているという。「嘘の研究ゴッコ」が教育研究を三流、四流にしている。「公開・平等・自由・実証」の中から本物が生まれる。
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学校の場での研究。
サークルやセミナーなどでの研究。
どちらも大事だ。
そして、学校の研究に全力を注ぐ。これが向山型である。
自分の学校の研究。
俺もここに全力で取り組む。
全力で取り組むからには、本物を生み出したい。
嘘の研究はいらない。
それならやらないほうがいい。
見栄えばかり気にして、言葉を飾って、嘘をついて報告しても意味がない。
やるからには、本物の研究を目指したい。