.2018/05/21 04:12『向山洋一全集 第84巻』より
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プロの教師なら、素人が見えないことが見えるべきだ。ところが、見えてない教師がほとんどである。
プロの教師の技術は「見えていると思ったことが本当は見えてなかった」と気がついたときから、作られていくのである。
(中略)
すぐれた授業とは、子どもたちの目には見えないものを見えるようにさせる活動なのである。
子どもたちに見えていることを、もう一度なぞっただけの授業は、あたりまえのことをあたりまえにいいかえただけの面白くない授業である。そこには、知的興奮が起こりようがない。
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自分にも見えていないことがたくさんある。それをどうやって見えるようにするか。ここが俺の教師修業である。
優れた本を読み込む。
実践し、ノートに書く。
アウトプットする。
この繰り返しの中で、今まで見えなかったものが見えるようになってくるのである。
授業でも同じだ。
正しい方向で努力しなければ、見えないものを見えるようにする優れた授業はできない。
算数の授業でどうやって見えるようにさせるか。
理科の授業でどうやって見えるようにさせるか。
とことん考え、追究していこう。
.2018/05/22 04:35
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本物の教師の理論、本物の教師の実践は、現場で真剣に子どもと向かい合うことのみから生まれる。
教育というのは現場である。現場での評価には「行動」が欠かせない。いくらうまいことを言っても、口がたっしゃで、それだけでは、何も変わりはしないのである。逆に、どれだけささやかなことでも、どれだけ小さなことでも、一つの行為は意味をもつ。そうした、行為、行動が本物の教師をつくっていくのである。
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俺は本物のプロ教師になりたい。
本物の一流の実践をしたい。
そのためには、どうすればいいか。
現場で真剣に子どもと向かい合う。
これしかない。
小さなことからでいい。
行為、行動を積み重ねていくのだ。
それが本物の教師を作っていく。
.2018/05/24 04:16
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「神は底部に宿り給う」と言う。
真実は具体的な小さなことの中にも貫かれているということである。
「きれいな言葉」では、本物かどうかは分からないが、「具体的なこと」を問うと本物かどうかが分かってくる。
すぐれた教師は、例外なく「具体的な行為」を「分かりやすい言葉」で語れるのである。
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俺はすぐれた教師を目指している。
本物のプロの教師を目指している。
そのために、「具体的な行為」を「分かりやすい言葉」で語れるように修業していくのだ。
「きれいな言葉」は誰でもいえる。
具体的な行為、具体的な事実、これこそが大事なのだ。