織物技術を博多に伝えた満田彌三右衛門
昨日、福岡市博多区の承天寺のうどん•蕎麦の発祥地の石碑、饅頭の発祥地の石碑のことを記事にした。『博多千年門とうどん、蕎麦、饅頭の発祥地の承天寺』いつの間にか?博多駅のそばにある博多千年門の入り口に来ていた。この博多千年門の揮毫は太宰府天満宮の当時の西高辻信良宮司によるものだった。さて、博多千年門のそば…ameblo.jp実は、もう一つ石碑があったが、その石碑のことは触れずに記事にしていた。満田彌三右衛門の碑である。鎌倉時代の嘉禎元年(1235年)、聖一国師とともに中国・未に渡った彌三右衛門は、6年後の仁治2年(1241年)、織物・じゃこう・素麺・箱・朱の製法を日本に持ち帰りました。これらの製法は博多の人々に広く伝えられましたが、その中の織物技術のみ家伝とされ、その後、独自の技法を加えながら現代に伝わっているのが「博多織」です。この名称は、江戸時代の福岡藩初代藩主・黒田長政が、幕府への献上品としたことから、『献上・博多織』と呼ばれるようになりました。なるほど!博多には中国伝来のもの全てがこの港にもたらされたことが分かる。このうち、博多織は博多人形とともに博多の名産品となった。満田弥三右衛門(みつた やそうえもん)とは? 意味や使い方 - コトバンクデジタル版 日本人名大辞典+Plus - 満田弥三右衛門の用語解説 - 1202-1282 鎌倉時代の織工。建仁(けんにん)2年10月15日生まれ。博多織の伝承上の創始者。筑前(ちくぜん)(福岡県)博多の商人。円爾(えんに)にしたがって宋(そう)(中国)にわたり広東織,緞子(どんす)織の技法をまなんで帰国。仏具を図案化した...search.app満田彌三右衛門のコトバンクである。「夏来る聖一国師の付き人も」ハイジャン男聖一国師の付き人も凄い!