3月7日、福岡南郵便局に郵便を出しに行った帰り道に母校の福岡県立筑紫丘高校を訪れた。
東側の空き地だった所は丘の斜面になっていた所を整地して建物を建設するらしい。
その後、校庭を自転車で一回りして、運動場に立った。
ここで、陸上競技部員として走ったり、跳んだりしていた。
その後、筑高体操をする銅像の前にやって来た。
今から38年前に出来た銅像だと分かった。
筑紫丘高校のことを略して筑高(ちっこう)と呼んでいた。
その体操の歴史を調べると、、。
筑高体操は、1951年(昭和26年)に元体育教諭の梶山彦三郎氏が考案し、1952年から大運動会で披露されている福岡県立筑紫丘高校の伝統的男子体操。海軍の体操を基にしており、上半身裸で号令に合わせて独自のポーズをとる。剛健な「筑紫男子(つくしをのこ)」を象徴する文化として、現在も続いている。
とある。
実は、この体操が出来たことと、筑紫丘高校に起きた大事件とは深く関係している。
筑紫丘高校は、1948年に旧制福岡県筑紫中学校と三宅中学校が合併して誕生後、翌1949年3月に福岡県議会での決定を受け、同年7月に現在の南区野間へ移転しました。旧校舎が福岡学芸大学に転用されることになり、新たな校地となった丘陵地から「筑紫丘」と改称されました。
福岡学芸大学を福岡市に誘致するために、筑紫中学のキャンパスだった福岡市南区塩原地区の鉄筋の建物を接収されて、福岡市南区野間の丘陵地に移転させられたのである。
当時の教職員や生徒たちにとっては悪夢のような屈辱的ない仕打ちであったろう。
その生徒たちを叱咤激励する意味を込めて、筑高体操が出来たという。
興味ある方はご覧下さい。
一度、九大陸上部の後輩で、筑紫丘高校の後輩でもあるMさんの結婚式に呼ばれたことがあった。
その際、筑紫丘高校出身者は披露宴の雛壇で筑高体操を披露させられたことがあった。
この体操は男子生徒だけで行う。
そのうち、男女共にということもあるかもしれない。
「春風に負けじ筑高体操を」
ハイジャン男




