福岡市南区の住人、ハイジャン男のブログ
アメブロ友の芳根杏子さんの「芳根杏子日記」の本日の俳句のお題は「しろばんば」だった。
「しろばんば」とは綿虫のことで、歳時記では「綿虫」が初冬の主季語である。
以下の俳句とコメントを送った。
『ハイジャン男さん
福岡市は曇り、現在の気温は15℃です。本日のお題は「しろばんば」。昨年も述べたように小説「しろばんば」の作者の井上靖はノーベル文学賞にノミネートされていたことも多々ありました。井上靖は最初、九州大学法文学部に入学して、唐人町に下宿していたとのことです。
寺多き唐人町やしろばんは
唐人町に寺が多いのは博多の町外れであり土地に余裕があったからかもしれません。
しろばんば「ノーメル賞」の宴かな
井上靖はノーベル賞発表の前に自宅に詰めかけた記者たちを自宅に招き入れて、受賞を逃したあとは「ノーメル賞」の残念会を催していたそうです。自らが毎日新聞の記者をしていた経験から来る”同僚”への気配りでしょう。』
さて、井上靖と九州大学法文学部との関係であるが、井上靖のWikipediaに記述があった。
さらに、九州大学のホームページにも!
その部分である。
【★371】井上靖:「四高を出ると私は九大の法文学部に二年間籍を置いたが、この期間、私はほとんど東京で過ごした。駒込の植木屋の二階に下宿し、駒込中学の校庭でテニスをやったり、気ままな読書をしたり、詩を書いたり、じつにのんびりした二年間をおくった。(略)それから私は京大へはいった。私はもともと京都大学の哲学科志望だったが、高校が理科だったため、欠員のない限り入学が許されず、しかたなく九大の法文科にはいったのであった。ところが三年目に京都大学の哲学科の志望者が定員に満たず、理科出身者でも願書さえ出しておけば入学できるということを知り、私は改めて京大へ移る気になったのであった。」(井上靖「私の自己形成史」)「私は九大に二年籍を置いた。三カ月ほど福岡の唐人町のしろうと屋の二階に置いてもらったが、試験だけ受ければ卒業できることを知って、福岡を引き上げ、東京へ移った。」(井上靖「青春放浪」)
漸く理解出来たことがある。
井上靖は元々、京都大学文学部哲学科に行きたかったようだ。
高校で理科を選択したので行けなかったが、三年の時に京都大学哲学科に欠員が出来て、理科専攻の学生も入学出来るようになったらしい。
さらに、九大が試験さえ受ければ卒業できると知って、福岡市にいたのはたった3ヶ月であとは東京で暮らしていたと分かった。
井上靖があまり唐人町に思い入れもないようだ。
しかし、遣唐使の出発の港である博多に井上靖が3ヶ月とはいえ住んだことがその後の小説を生むきっかけとなったと信じたい。
空海や最澄の念力が井上靖に乗り移ったとか?(笑)
空海の微笑む先やしろばんば
ハイジャン男

