福岡県朝倉市長田の標題にある長田川の開削により、湿田になっていた長田村の水田が水捌けが良くなったのである。


1825年、福岡藩下座郡長田村の庄屋の松岡九郎次は水捌けの悪い湿田の側を流れる川の底にもう一本暗渠を掘る工事を行い、400ヘクタールの水田が蘇った。


その長田川の維持は松岡九郎次の息子の九平、そして孫の九一郎に受け継がれた。


これを松岡三代の普請と地元では呼ばれていて、朝倉市のホームページにも記載されている。








この記念式典が朝倉市立雛城小学校の講堂で行われた。










ハイジャン男の父母は共に、この松岡家の新宅の出となり、その式典を見物に出かけたというわけである。


お祝いの出し物がいくつもあった。











その一つ地元の美奈宜神社に伝わる獅子舞である。


二頭の獅子舞はたいへん珍しいという。











最後に暗渠の長田川の出口の写真である。


「長田川開削二百年の冬」


ハイジャン男