福岡市中央区の福岡城跡には、明治になって城が壊された時に移設されて、戦後になって戻って来たものもある。また、他にあった建造物が移設されて来たものもある。













この名島門も小早川隆景が築城した名島城の脇門だった後者の一つである。


名島城の建造物として歴史的にたいへん貴重なものと云えよう。


詳しい経緯は写真を参照して下さい。


「夏近し城跡にある名島門」


ハイジャン男


最近、写真の字をスマホに取り込めることに気付いたので、ここに貼っておく。


『この門は、天正15年(1587 小早川隆景が多々良川口の名島に築いた名島城の脇門で、慶長年間(1596-1614)黒田長政が居城を名島城から福岡城に移すとき、黒田 24騎の一人である林掃部にさげ渡され、邸宅の門として使用されていたもので、「名島ひけ」と呼ばれた名島城の数少ない遺構の一つです。

明治の中ごろ、長崎に移築されそうになったのを、時の代議士によって買い戻され、天神の自宅の門として使用されていましたが、戦後ビルの建設に伴って現在地に移築されたものです。』