福岡市南区三宅に清星幼稚園の農園がある。
その続きの空き地は花野になっているが、、。
冬にはこのように枯野となる。
これは、2017年1月24日のもの。
その時のブログ記事である。
何故、この枯野が登場したのか?というと、アメブロ友の芳根杏子さんの「芳根杏子日記」の俳句の本日のお題が「枯野」だったからである。
以下の俳句とコメントを送った。
『ハイジャン男さん
おはようございます。福岡市はところにより曇り、気温4℃です。今日のお題の「枯野」にぴったりです。家のそばに私も卒園の幼稚園の農園があり、その続きは花野になっています。もう咲いている花は無くなり枯野になっています。その枯野で詠んだ俳句があるはずですが、思い出せません。そう書いていたら、一句出来ました。
思ひ出は枯野の土となりにけり
少し暗い句ですね。俳句では陰陽を対比させることも良いですね。
思ひ出は枯野の下で生きてをり
こうすると、陰陽を含む俳句にりました。』
俳句の季語との取り合わせであるが、暗い季語の場合にはどうしたら良いのか?
「俳句オデッセイ」の著者の林誠司さんのページを引用させてもらった。
芭蕉は、
霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き
松尾芭蕉
と詠んでいる。
霧しぐれは陰だが、面白きは陽である。
暗い季語に暗い取り合わせは心も荒ぶものである。
思ひ出は枯野の土となりにけり
しかし、ちょっと待ってくれ!俳句では、述べられていることから、作者が言いたかったことを想像するようにしたらどうだろう?
思い出は枯野の土になってしまったが、来春には必ず甦るという暗喩である。
思ひ出は枯野の下で生きてをり
思い出は枯野の中で生きているのだ。
言いたかったことは、陰陰の俳句は、暗喩で陽陽となって返ってくることがあって良い。
たつぷりと愛を吸ひたる枯野かな
ハイジャン男
2017年1月24日
は、陽と陰になっていることが分かった。
寂しさに秘めたる思ひ枯野かな
ハイジャン男
掲句は、陰陽陰の取り合わせだ!(笑)
本日の枯野!
これは、夏の草原!?(笑)