福岡市南区の自宅の庭











楓紅葉の紅色は褪せて枯葉となっている。


そして、完全にからからに乾いたら、風に吹き飛ばされる。石にぶつかり少しずつ細かく砕かれてゆき、土に還ってゆく。


そして、いつの日か?その幾ばくかは梢に戻ることがあるのだろうか?









何故、この話になったのか?というと、アメブロ友の芳根杏子さんの「芳根杏子日記」の俳句の本日のお題が「枯葉」だったからである。


以下の俳句とコメントを送った。


ハイジャン男さん

おはようございます。福岡市は曇り時々晴れ、気温6℃です。本日のお題は「枯葉」ですね。三冬の季語です。傍題季語はありません。枯葉は木の梢に残っているもの、落葉となって地上にあるもの、いずれをも指すようです。落葉の中には新鮮なのに落葉になったものもあります。枯葉は枯れているか?落葉は落ちているか?に重きがあるわけですね。枯れているということは割れて粉々にもなるわけです。ということから、、。

空へまた枯葉は土に還りけり

化学的なことをいうと、枯葉の元素は土に還り、その元素の幾ばくは空に戻るかもしれませんね。循環していますね。』


枯葉も元々は生物の葉っぱだったので、元素としては、CHONPSで出来ている。これらの元素を生元素という。


その生元素は土の中に還り、再び木々に吸収されて、新たな葉っぱになるかもしれない。


これを「生生流転」という。


掲句は、正しくこの生生流転を詠んでいる。


枯葉は死に非ず!次の生への始まりである!


ということだ!


死に非ず枯葉は次の生目指す

ハイジャン男


生と死は真逆のようであるが、案外近いものかもしれない。