鮭の美味しい季節になってきた。
鮭は仲秋の季語である。
鮭(サケ)の日本での川への遡上は10月に始まるので、季語としても仲秋から晩秋になっているように思える。
本日、スーパーマーケットで売っている鮭を取材させてもらった。
日本産ではなく、ロシア産であった。
ロシアがウクライナ戦争を仕掛けて、西側諸国から非難されていても、貿易は続いていることを知り愕然とする。
フリー画像の写真である。
日本産の鮭は、寄生虫の懸念から生食は出来ずに、煮たり、焼いたりしないと食べられないという。
ところが、ノルウェーやロシアの養殖のサケはその心配がなく、生食できるようになったという。
知らないことばかりであった。
何故、本日、鮭の話になったのか?というと、いつものごとく、アメブロ友の芳根杏子さんの「芳根杏子日記」の俳句のお題が「鮭」であったからである。
このなかで、以下のコメントと俳句を送った。
『ハイジャン男さん
おはようございます。福岡市は霧雨、気温19℃です。おっ!20℃以下になりました。本日の俳句のお題は「鮭」ですね。詠んだことがない季題です。避けて来たわけではありませんが、、(笑)。杏子さんの本日のブログに福岡県の川まで鮭が遡上するとありました。遠賀川だと思います。この川を境に筑前藩と小倉藩に分かれていました。
恩讐の川とは知らで鮭のぼる
細川忠興と黒田長政は遠賀川を挟んで睨み合います。細川忠興が中津藩に移った時に、長政が年貢米を置いて行かなかったことが原因です。しかし、その長政も筑前藩にあった筈の年貢米を小早川秀秋によって持ち去られていました。これまでの慣習が通用しない時代になったようです。
ここで終わってはダメなので、もう一句
解散は避けて通れぬ鮭颪
鮭颪で、石破下ろしがなるか?』
サケが福岡県の遠賀川に来るようになったと聞いたことがある。
遠賀川に鮭が戻って来るようになったのは、鮭の養殖を始めて、地道な活動により、鮭が戻って来るようになった。
このページにあるように、遠賀川にはいくつかの鮭神社があり、鮭の遡上する南限の川だった。
しかし、明治に入り、石炭を運ぶ川となったために、鮭が遡上しなくなっていたのである。
それを平成になって見事に鮭の遡上を復興させたのだという。
遠賀川のWikipediaも貼っておく。
さて、この遠賀川によって、江戸時代までは、筑前藩と豊前藩に分かれていた。
コメントにもあるように、中津藩に黒田長政の代わりにやって来た細川忠興は、長政が中津藩の年貢米をみんな筑前藩に移った際に持って行ったことに激怒して、一触即発の関係になってしまった。
詳しくは以上の記事を参照下さい。
しかし、筑前藩の小早川秀秋も年貢米を持って行ったと言われている。
詳しいことが分かれば、追加する。
さて、最後に鮭が東北地方の川に遡上する頃に吹く仲秋の強い風のことを鮭颪という。
仲秋の季語になっている。
ダジャレであるが、石破政権は国民に信を問うために、衆議院を解散するのは避けて通れない。
自民党は、安倍元首相が姑息なことを弄して!政権を取り戻したが、自民党議員は総辞職すべきなことをやってきたわけである。
鮭颪が自民党員たちへの逆風となることを訴えたいものだ。
鮭颪姑息な自民党下ろす
ハイジャン男