台風10号の現在の位置
周防灘と伊予灘の境目辺りにあり、東の愛媛県松山市辺りを向いている。
台風10号の軌跡で分かるように、熊本県の玉名市にある小天温泉付近を通った。
そして、これから道後温泉を目指そうとしている。
先ほどの記事で、今回の台風10号がまるで温泉めぐりをしているようだと書いた。
熊本と松山を結ぶ文人と云えば、、?
そう、夏目漱石がいる。
夏目漱石のWikipediaである。
夏目漱石(夏目金之助)は1867年に東京に生まれた。
当時は、まだ江戸時代であったから、江戸の生まれというのが正しい。
1895年4月、東京帝国大学文科大学英文学科の大学院を修了して、愛媛県の旧制松山中学校の英語教師として赴任した。
1896年4月には、熊本県の旧制第五高等学校の英語講師として赴任。
同年7月には、教授に昇任している。
ハイジャン男の父は、この第五高等学校を昭和3年に卒業している。
その父が購入した夏目漱石の書の複製の額がある。
夏目漱石が第五高等学校の十周年の創立記念日の式典の時に祝辞を述べた原稿の複製の額である。
1897年10月10日にた夏目金之助が祝辞を述べている。
教授に昇任して、1年3ヶ月後の秋のことである。
達筆に惚れ惚れする。
熊本には、まる7年いたことになる。
その後、漱石は1903年に第一高等学校講師となり、東京帝国大学文科大学の講師を兼任している。
その2年後に、「我輩は猫である」を、その翌年には、「坊ちゃん」をホトトギス に発表して、小説家の道も歩み出すことになる。
「坊ちゃん」には、松山中学校らしき四国の中学の話が出てくる。
主人公は、東京物理学校を出た数学の教員になっているが、漱石の松山での体験を素に書かれたものであろう。
そして、第五高等学校時代のことは、「草枕」、「野分」、「二百十日」などの多くの小説の舞台として熊本が登場することになる。
今、気付いたが、漱石と台風(野分)はたいへん関係が深いことにまたしてびっくりである。
ところで、夏目漱石は、大の温泉好きだったことが分かった。
道後温泉と夏目漱石のストーリーである。
熊本県玉名市の小天温泉那古井館のページである。
今回は、台風10号が夏目漱石の足跡を旅してくれることになりそうだ。
「漱石の足跡を行く野分かな」
ハイジャン男




