福岡県美術館に父が所有していた高島野十郎の「さくらんぼ」の絵を寄託している。










何故、この絵が登場したのか?というと、アメブロ友の芳根杏子さんの「芳根杏子日記」の本日の俳句のお題が「さくらんぼ」だったからである。











ブログによると、山形県が日本のさくらんぼの生産の7割を占めるという。


しかし、今年は山形県の気温が高すぎて、不作だという。


このブログ記事に以下のようなコメントを送った。


杏子さんが直ぐにご自分の記事にアップして下さる。


これが、コメントする者にとってたいへん嬉しいのである。


『ハイジャン男さん

おはようございます。福岡市は曇り、気温26℃です。杏子さんの本日のお題「さくらんぼ」。私の父が所有していた高島野十郎の絵の「さくらんぼ」の続きの俳句にします。現在、福岡県美術館に寄託しています。高島野十郎は、1890年に現在の福岡県久留米市に生まれました。兄が青木繁と中学の同級生であることから、少なからず絵画への憧れを抱いたのかもしれません。東京大学農学部水産学科を首席で卒業し、将来を嘱望されていましたが、画家になる決心をします。その後、独学で絵の研究に没頭します。パリでの生活も経験しています。生涯を独身で通し、1975年に亡くなります。無名のまま亡くなりましたが、1980年に福岡県出身の画家の展覧会に睡蓮の大作が出品され、注目を浴び始めます。死後、5年後のことです。作風は写実に徹するその頑な姿勢です。しかし、これを実現するには、技術もさることながら、精神の強靭さがないと無理だと思います。さて、野十郎のさくらんぼは何処から手に入れたか?です。アトリエは、青山にありました。ということは、山形のさくらんぼの可能性が高いですね。

野十郎手に山形のさくらんぼ

来年、2025年には、全国で野十郎没後50年の展覧会が開催されます。「さくらんぼ」の絵も出品して良いか?と福岡県美術館の学芸員の方から連絡があり、受諾しました。』


さて、高島野十郎をご存知のない方のために、Wikipediaを貼っておく。









ハイジャン男の上記のコメントとダブるところもあるがご了承願いたい。


さて、締めの俳句が近付いて来た。


さくらんぼ濃淡の影描かれをり

ハイジャン男


何故、この俳句になったのか?というと、写真の野十郎の絵であるが、手前に少し腐りかけの黒いさくらんぼが一個だけ描かれている。残りは明るい色調にしてある。新鮮なさくらんぼを描くということは、相対的に腐ったさくらんぼも同時に描いて差を鑑賞者に分かってもらう必要があると考えたのだろうか?


この問題提起も前の「芳根杏子日記」のさくらんぼのお題の時に書いたのでご参照下さい。