昨日、大分県日田市の三隈川を歩いた時の発見


沈下橋に大きな流木が引っかかっていた。










流木というより、立派な材木ではなかろうか?


日田市は周りを山に囲まれており、筑後川の水運により材木を運び出す集積地として栄えた。


日田が江戸時代に天領であったことを物語る。


日田市のWikipediaである。









日田市の詳しい歴史を勉強するよい機会となった。


福岡藩祖の黒田長政の父の黒田官兵衛は、関ヶ原の戦いを行っている頃に、中津にいて、隣の大友家の大分を支配しようと戦争を仕掛けていて、日田の支配に成功して、官兵衛の家臣の栗山善助預かりになったとある。


さて、その日田の材木の歴史であるが、KBCテレビのYouTubeを貼っておく。








日田の材木の集積地としての話も出て来るし、日田の産業の一つとして下駄作りがあったことも分かる。


「梅雨晴れ間水郷日田の歴史かな」


ハイジャン男