昨日、福岡市南区的場付近の那珂川の浅瀬にあった流木が消えていることを記事にした。
ハイジャン男の推測では、下流にある番托井堰に引っかかってないだろうか?
そのことを確かめに福岡市南区塩原の番托井堰に来てみた。
半信半疑であった。
しかし、魚道の段差に引っかかっていた。
感激ひとしおである。
この流木は友達というよりも、自分の一部の同胞のようにも思えていたからである。
この番托井堰の全景である。
ところで、番托井堰とは何なのか?
これによると、番托井堰は、18世紀後半に豊田徳作という大庄屋の熱意によって作られたとある。
この井堰のお陰で水の少ない御笠川方面にも水が送れるようになったらしい。
そう云う歴史ある井堰で暫く流木は暮らせることになった。
この井堰は昭和28年の大水害で消失し、その後山笠の男衆の協力で再建されたらしい。
この魚道を遮る流木
そのうち、井堰の管理者によって取り除かれることだろう。
「流木と番托井堰田植時」
ハイジャン男