昨日、昨年5月8日に亡くなった姉の一周忌を済ませて、昼食後に福岡市中央区鳥飼に出かけた。

 

昭和19年、ハイジャン男が生まれる8年前までに借りていた家が現存しているとのことから、当時生まれたばかりの姉の写った現場に姉たちと行ってみようとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

確かに、この家の前で父が出征した記念の写真もある。

 

当時、3歳だった亡くなった次姉が母と長姉と写った写真もある。

 

出征した父、残された母と姉たちはその後、借家を離れて、福岡県三井郡大刀洗町に疎開して無事だった。

 

福岡市は、昭和20年6月に米軍の爆撃でこの鳥飼も殆ど焼き尽くされたと思っていた。

 

ハイジャン男の勘違いではあったが、明治通りに面した鳥飼八幡宮の付近は現住所は今川になる。

 

そして、この借家のある所は鳥飼八幡宮から1キロメートルほど南の現住所が鳥飼一丁目なのである。

 

戦災で焼け出されずに、こうして残って居るのは奇跡かもしれない。

 

「戦前の借家芍薬咲くごとく」

 

ハイジャン男