昨日、福岡市南区三宅のとあるお宅に黄色い花が咲き乱れていた。
Googleレンズで確認したところ、山吹の花だと分かった。
ヤマブキのWikipediaである。
ヤマブキのことで思い出したのは、太田道灌の逸話である。
山吹伝説ある日、鷹狩に出かけた道灌はにわか雨に遭い、蓑を借りようと農家に立ち寄った。出てきた娘は花が咲いた一枝の山吹を差し出すのみであり、彼女の意図を理解できなかった道灌は、蓑を借りようとしたのに花を出されたことに立腹しながら帰宅した。後でこの話を家臣にしたところ、それは兼明親王の歌「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」(『後拾遺和歌集』所載)に掛けて、山間(やまあい)の茅葺き(かやぶき)の家であり貧しく蓑(実の)ひとつ持ち合わせがないことを奥ゆかしく答えたのだと教わった。道灌は古歌を知らなかった事を恥じて、それ以後は歌道に励み、歌人としても名高くなったという。以上が道灌の山吹伝説のあらすじだが、「山吹の里」とされる地は複数存在し、東京都内では豊島区高田の神田川に架かる面影橋近くに山吹の里の碑が建ち、1kmほど東へ行った新宿区内には山吹町の地名があるほか、荒川区三河島地域などが伝説地に比定されている[11]。他に、神奈川県横浜市金沢区六浦や[12]、埼玉県越生町にも「山吹の里」と称する場所が存在する[2]。しかし、山吹伝説は江戸時代に掛川藩主となった太田家が編纂した家譜である『太田家記』[13]には見えず、その初出は江戸時代中期に湯浅常山が編纂した『常山紀談』で、信憑性には疑問が残る[12]。また、落語にはこの故事をもとにした『道灌』という演目がある。
太田道灌のWikipediaである。
この話を高校1年生の時に生物のY先生が盛んにしていた。
恥ずかしながら、Y先生は何を仰りたいのか?よく分からなかった。
今になって、この娘のように学問や和歌に通じることの重要性を説かれたのだろうと無知を恥じるのみである。
「山吹や道灌に間に合ふやうに」
ハイジャン男
今からでは遅くないか?