昨日、福岡市美術館を後にして、バス停に向かう途中で広田弘毅像に遭遇した。










福岡県が生んだ初の首相である。


広田弘毅は、外交官であり、文民であった。しかし、第二次世界大戦に日本が敗戦した後、極東軍事裁判にかけられ、文官として唯一、A級戦犯として死刑を執行された。


日本の首相で、凶弾に倒れた首相はいるが、極東軍事裁判という勝てば官軍方式の非人道的な裁判で非業の死を遂げた人物は他にはいない。









広田弘毅のWikipediaである。貧しい農家より、石材店の養子となり、秀才であり、立身出世の道を歩んだ。









先日、上記のブログ記事で、福岡県出身の首相が二人居て、一人が広田弘毅、もう一人は麻生太郎だと記事にしたばかりだったので、その巡り合わせに驚いている。










夕暮れの中での撮影で顔がはっきりしない。


晴天下の写真は次のページを参照下さい。








 

先ほども述べたが、軍人でない外交官だった広田弘毅首相を戦犯として死刑執行などあり得ないことが戦後起きたということである。


依然、アジアを植民地支配していた欧米列強の白色人種が日本を恐れて、見せしめ的な裁判だったように思う。









この碑銘の文は、進藤一馬元福岡市長によるものである。


進藤一馬氏は、桧原桜の花守市長として有名だが、実は、福岡の玄洋社という政治団体に所属していた。









玄洋社のWikipediaである。


実は、広田弘毅の東京の第一高等学校、東京帝国大学法科大学の学費は玄洋社の平岡浩太郎が援助していた。


広田弘毅が玄洋社の政治理念の下に人生を歩んでいたことが分かる。


このように、広田弘毅を顕彰することにより、歴史観を動かすことになりはしないだろうか?


アジア諸国を植民地化して、利益を貪り盗ろうとしていた欧米列強の白色人種に正義はあったろうか?


日本がここに記す玄洋社のように、アジアを欧米列強から守ろうと立ち上がったことに義があることは明々白々である。


この立春の日にあたり、今日より歴史を動かそうではないか!


義ある者にだけ、歴史が味方する。


「立春や歴史動かす日とならん」


ハイジャン男