本日、福岡市は雨も止み、晴れ間も見られてきた。


これは、何処かに出かけるべし!と博多駅バスターミナルより、西鉄太宰府駅行きのバスの「まほろば号」に乗り、大宰府政庁跡を訪ねてみることにした。












ここに、京都御所のような建築物があったというわけである。














近付くと、このような跡地である。


大宰府のことを都府楼とも呼んでいたので、都府楼跡になっている(この石碑は都督府古趾になっている)。











ここに建物があったという証が柱を立てる礎石として残っている。









大宰府のWikipediaである。


今の太宰府天満宮には、太の字を用いているが、最初は大の字を使っていた。


大宰は「おおみこともち」と読み、外交上•軍事上重要な権限を持つ役職のことである。


その役職が置かれた政庁が大宰府である。


菅原道真を祀るようになった神社が太宰府天満宮と「大」の代わりに「太」を使うようになり、都市名もそれに合わせているらしい。












大宰府政庁跡を保存しようという動きは、何と昭和40年代になってからだということがこの写真から分かった。


日本に経済力が付いてからの保存となったようだ。











次の大宰府政庁の南門跡の写真もたいへん興味深い。


見にくい写真だが、拡大して見て頂きたい。








太宰府市のホームページも参照下さい。


ゆっくりと大宰府政庁跡に立ったのは、初めてかもしれない。


古人(いにしえびと)の霊気を感じる時間であった。


「寒の空大宰府跡の霊気かな」


ハイジャン男