ハイジャン男は、昨日、思い切り、福岡県那珂川市にある裂田の溝(さくたのうなで)に出かけてみた。
日本で最古の農業用水路とされている。
裂田の溝は、日本書記に神功皇后が三韓征伐の前に、現人神社の神田を灌漑するために作ったという記述がある。この農業用水路は今でも使われているので、学術調査ができないということもあり、詳しいことは分からないことも多い。
先ず、この裂田の溝の全水路を地図で案内しよう。
これが裂田の溝の全コースの地図である。
先ず、地図の一番下の左が那珂川からの取水口である。
ここを「一の井手」という。
そこで水に取り入れて、水路は左下から右上へと流れて行く。
そして、本流の那珂川も左下から、右上へと流れて行き、裂田の溝も元の那珂川に地図の右上地点で合流する。
もう一枚の地図である。上の地図の下半分を拡大している。
ここに、裂田の溝という名前の由来がある。
裂田神社のある所である。
この用水路を作る時に、大きな岩が行く手を塞いでいた。
そこで、神に祈ったところ、雷が落ちて、岩が裂けて用水路を掘り進むことが出来たというのである。
そこから、「裂田の溝」という名前が付いたという。
さあ、先ず、一の井手を案内しよう。
江戸時代の黒田藩の学者の貝原益軒が一の井手を筑前国一の規模の井手だと書き残しているという。
一の井手、一の堰手由来の石碑である。
さあ、ここから流れて行く。
さあ、ここから用水路は流れて行く。
水が澄んでいて、水道水にしても良い気がする。
日本の用水路建設の技術は、世界一だったろうと思う。
最初は、中国から学んだかもしれないが、それを改良してゆく技術が凄い。
「寒の水最古の溝を流れゆく」
ハイジャン男