昨日、福岡城跡の梅園から、眼下に平和台陸上競技場が広がっていた。


ハイジャン男の原点とも言うべき陸上競技場である。










今でこそ、全天候型トラックになっているが、ハイジャン男が中学生、高校生の頃は、全面アンツーカーの土のグランドであった。








平和台陸上競技場のWikipediaである。1948年に開かれた国民体育大会のメインスタジアムとして建設された。


福岡国際マラソンのスタート、ゴールの場である。


平和台陸上競技場は、ハイジャン男の陸上競技人生の原点でもある。


中学3年の時は、福岡地区大会で走り幅跳びで3位となり、北九州市の鞘ヶ谷陸上競技場で行われた県大会に出場した。


高校3年生の時は、福岡県大会で走り高跳びで同じく3位となり、大分市営陸上競技場で行われた長崎、佐賀、福岡、大分各県の集う北九州大会に出場した。土砂降りの雨の中、ここで5位となり、インターハイ出場を決めた。


こうして見ると、平和台陸上競技場は、ハイジャン男に3位をプレゼントしてくれる競技場のようだ。


花を持たせてくれてはいるものの、上には上が居ることを教えてくれていたのかもしれない。


「寒の水いつも叱咤の平和台」


ハイジャン男