一昨日のこと、西公園の光雲神社を参拝した後、ハイジャン男は、西公園の頂を目指した。
西公園のことは、荒津山と云っていた。
高さ48mである。
ここより、少し下った所に大きな記念碑が立っている。
加藤司書公銅像とある銅像が消してある。
実は、加藤司書公の銅像は第二次世界大戦以前はあったのだが、その金属は接収されたと聞いたことがある。
そして、それに代わる加藤司書の記念碑が出来た。
加藤司書作の七五調の今様歌が彫られている。
加藤司書は、黒田藩の中老であり、江戸時代の幕末混乱期に活躍した人物である。
詳しくは、Wikipediaを参照下さい。
福岡藩の尊王攘夷派の代表として活躍したが、藩内の佐幕派と対立することとなり、乙丑の獄の大粛清により、36才で切腹させられる。
この政変により、福岡藩の有能な人材は悉く粛清されて、福岡藩は明治維新に乗り遅れた。
今から、59年前の昭和40年にこの記念碑が作られたとある。
Wikipediaにもあるが、銅像の台座の上に御霊の丸石を置いた構造になっている。
「武士の御霊を鎮む寒の水」
ハイジャン男