本日、12月14日は、赤穂義士の討入の日である。
ハイジャン男のブログを検索すると、多くの記事を書いていた。
高輪の泉岳寺
先ずは2013年12月14日の記事
おや?私の大写しの写真??赤穂浪士でないのに?(笑)
訳が分かった‼️当時、写真がなかったために、私のプロフィール写真が出て来るのだ!
この中で、四十七士が吉良上野介の首を取り、本懐を遂げて、高輪泉岳寺へ向かう途中に永代橋の番所を通過する時の話がある。
「白湯を取る四十七士の息白し」
の句が生まれた経緯が出て来る。
2014年12月14日
「義士会に健さん鳴らす陣太鼓」
パッと見て、高倉健のことか?と思った。さにあらず、松平健だった!
2015年12月14日
「義士会の墓前の菓子に陣太鼓」
熊本の代表的な銘菓である。大石内蔵助は山鹿流の剣士であるから、吉良邸に討ち入る際に、山鹿陣太鼓を鳴らしたことに由来していると思われる。
こうして、3回の記事を通して、お読み頂くと、赤穂浪士討ち入り物語が如何に日本人の精神的な支柱となっているかが分かる。
さて、福岡市でも、南区の寺塚にある穴観音のあるお寺の興宗寺にて、福岡義士会が執り行われている。
今日はこの取材に行かなくては‼️(笑)
赤穂浪士四十七士の墓は、高輪泉岳寺に主君の浅野内匠頭と同じ場所にある。
義士会の発端は、当時、高輪泉岳寺で修行していた各地の若い僧たちが地元に戻り始めたと聞いたことがある。
福岡市でどのような経緯で、福岡義士会が始まったのか?
現地に行けば分かることだろう。
午後に結果を報告する。
ところで、角川大歳時記によれば、俳句の季語としては、「義士会」が主季語で、傍題として、「義士討入の日」と「赤穂義士祭」がある。
「赤穂義士討入りの日の投句欄」
ハイジャン男
本日、私が編集責任者の「令和丘ふみ句会」の投句を本日の0時にスタートさせた。義士会の俳句があると嬉しい。




