福岡市南区に老司という町がある。





その町を流れる那珂川から灌漑用水路とし水を引くために作られた人工の川がある。


老司川である。


ハイジャン男は、本日、地禄神社の境内を抜けた所に架かる橋から、老司川の上流に向かって動画を撮った。



今でこそ、側溝はコンクリートになっているが、昔は、土手があり、そこに木々が植えられていたのではなかろうか?




老司川の起点の地図である。川原がたいへん幅広い。そして、本流の那珂川の川幅が非常に狭くなっている。これが、用水路を作る時の仕掛けなのだろう。



ハイジャン男が動画を撮影した場所は、この地図の地禄神社と髙橋書店と書かれた間にある橋である。地図の下側が上流となる。



老司川は、大橋の繁華街に来ると、地下に潜る川になる。いわゆる、暗渠の川となる。



そして、地下に潜ったまま、福岡市立塩原小学校の傍で元の那珂川に戻るというわけである。


ところで、老司という地名の由来について


神話に出てくる塩土翁とは塩田、塩原を経営していた神で、それ以外に赤土の採掘権を保有する神でもあったとか。


これを万葉の頃には盧人(ろじ)と呼び、それが老司(ろうじ)に変化したそうです。』


かなり古くからある地名だと分かった。


この老司川がいつ頃からあるのか?であるが、ハイジャン男は、福岡県那珂川市にある遺跡がヒントになると思っている。




烈田溝のことである。「さくたのうなで」という。奈良時代以前からある用水路なのである。


「初冬の水の流れを辿りけり」


ハイジャン男