先ほど記事にした「ブラタモリ 北九州市 2回目(その2)」官営製鉄所を八幡に誘致してきた人物の一人
安川敬一郎のことを調べてみた。
詳しくは、次のWikipediaを参照して欲しい。
安川敬一郎が現在の安川電機の礎を作った人だとは直ぐに分かったが、筑前藩(福岡藩)の出身だとは知らなかった。
安川 敬一郎(やすかわ けいいちろう、嘉永2年4月17日(1849年5月9日) - 昭和9年(1934年)11月30日[1])は日本の武士(福岡藩士)、戦前の実業家、政治家。炭鉱で財を成した筑豊御三家のひとつ。貴族院議員、衆議院議員。大正9年(1920年)1月13日、男爵授爵。勲三等瑞宝章。地方財閥・安川財閥の創始者であり、国士的な実業家として知られる。号は撫松。玄洋社社員[2]。私立明治専門学校(現・九州工業大学)創立者。
経歴を見ると、波乱万丈の人生だったと分かる。
筑豊御三家とは、麻生、貝島、安川の三家のことを云う。
ブラタモリに安川敬一郎が登場したおかげで、郷土の名士を新たに知ることが出来た。
「天高し黒光りするダイヤかな」
ハイジャン男

