フェイスブックに丘ふみ游俳倶楽部の部長の中島雅幸さんとフェイスブックお友達2年記念日が今日であるお知らせが舞い込んで来た。
中島雅幸さんは、福岡県立筑紫丘高校の同級生である。
筑紫丘新制の23回生なので、同期の卒業生の会を「丘ふみ会」と呼んでいる。
23を「ふみ」と読み、洒落入りの名前である。
中島雅幸さんとは、1968年4月に出会った。
同じ1年1組でクラスメートになった。
しかし、2年になり、クラスが変わると付き合いは途絶えた。
多感な高校時代であるから、同じ組の新しい友達が出来るのは仕方ない。
中島さんは、高校卒業後、九州大学文学部に入学して、理学部に進学したハイジャン男と六本松の教養部キャンパスでも一緒になった。
しかし、お互いに声をかける程度であった。
それから、長い長いブランクがあったのだが、2人を結び付けるのに役立ったものは、パソコンのメーリングリストだった。
1998年に同級生のY君が始めたもので、同級生同士の交流が始まったのである。
この頃から、丘ふみ会の同窓会が頻繁に行われるようになり、長く消息不明?だった中島雅幸さんが、メーリングリストを見つけてメールをくれるようになり、秋に行われる丘ふみ会の同窓会総会にも参加したのである。
2004年の7月に中島さんから、「丘ふみ游俳倶楽部」というネット句会を始めないか?という誘いのメールがメーリングリストに飛び込んで来た。
そこには、こんな俳号の人に参加をという俳号まで書かれていた。
五六二三
ハイジャン男に付けられた俳号であった。
ハイジャン男の誕生日は、6月23日である。50音字の「お」が5番目、「か」が6番目なので、「おかふみ」は、5623になり、自分の誕生日が含まれることを自慢げに出したメールを中島さんが覚えてくれての命名なのである。
資料官
同級生のN君に付けられた俳号で、高校時代のすべてをスクラップにして保存していて、彼に聞けば何でも分かる。
この2人は、丘ふみ游俳倶楽部の最初からの参加となった。
こうして、高校卒業後、33年後に、中島さんとの濃い付き合いがまた始まったのだった。
爾来、12年、俳句を通して、友情が芽生えたのである。
中島さんが丘ふみ游俳倶楽部の部長で、ハイジャン男が副部長を務めている。
中島さんは、俳号を最初は月下村と名乗っていたが、直ぐに葱男と改めた。
そのきっかけは、よく知らない。
中島葱男さんは、京都在住で、着物の染め物をされている。
しかし、着物の需要の落ち込みで、奥さんと一緒にフェルトのお洒落な服を作る仕事も始められた。
葱男さんの仕事の話は、前に記事にしているので、この記事を参照下さい。
「少年のやうなる葱と出会ひけり」
ハイジャン男
少年の心を持つ葱男さんのご健勝とご活躍を祈念して詠んだ。