俳句におけるレトリックについて

レトリックとは、修辞学のことである。

Wikipediaにより解説してもらおう。

修辞学(しゅうじがく、希: ρητορική, 羅: rhetorica, 英: rhetoric)は、弁論・叙述の技術に関する学問分野。レトリック、雄弁術、弁論術、説得術とも。
欧州古代・中世で教養の中核を成していたが、近代に衰退。古代・中世の教育規範である自由七学芸の内の一つ。基本的には演説の技術で、いかに聴衆を納得させるかを目的とするかなり政治的なもの。そのため修辞学では、聴衆の心理操作が大きな位置を占め、さらに、演説をより魅力的に見せるために、身ぶりや発声法なども重要視される。つまり、言語学、詩学、演技論などの総体だった。だが近代ではさまざまな学問に分化し、あくまで言語表現に磨きをかける技術、という領域に押し込められる。

今夕、俳句大学にブログ記事の「油山にある稜線の襞」の句を投句した。



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すると、渡部稲穂先生よりコメントを戴いた。

「稜線の襞を伸ばして山眠る」

の原句を

「稜線の背筋伸ばして山眠る」

にした方がいいとのこと。

稜線の襞というのは、そのまんまだ。

「稜線が背筋伸ばして山眠る」と言い切った方が俳句になるのだ。

では、「山笑ふ」ならどうなるの?

「稜線の口元開き山笑ふ」

になるのかもしれない。

少し、俳句が分かってきたのかもしれない。

「頂上の頭を垂れて山眠る」

ハイジャン男

稲穂先生、有難うございました。

最後の句は、頭を垂れる「稲穂」から来ています。