正月の雑煮のことが俳句大学で話題となった。
きっかけは、斎藤信義先生がハイジャン男の投句にコメント下さったことから。
斎藤先生は、昭和28年から40年まで博多にお住まいであったが、鰤雑煮は召し上がったことがないというコメントであった。
俳句大学のTさんもコメントを下さった。
「横から失礼します。
私は父が八代出身なもので未だに博多の鰤とかつお菜の雑煮を作りません(^_^;)
しかし、実家の昆布スルメ出汁に里芋大根人参白菜なのお野菜ばかりのお澄ましが熊本のお雑煮なのかも疑問なのですが??(^_^;)
原家は鰤雑煮なのですね。」
雑煮のことをWikipediaで紹介しよう。
雑煮
雑煮(ぞうに)は餅を主な具とし、醤油や味噌などでだしを味付けたつゆをはった日本料理。世界的に見るとスープ料理の1つ。 日本では正月に多く食べられ、地域や家庭によって違いがある。
雑煮の由来については諸説あり、定かではない。
歴史・由来
有職料理のひとつとして、焼き餅をそえた吸物がある。ここでは雑煮とはせず吸物とされている。
室町時代に書かれた『鈴鹿家記』に初めて「雑煮」という言葉が登場する。これ以前の名称ないし形態については諸説あり、うち1つの名前は、烹雑(ほうぞう)といわれる(#武家社会における儀礼料理説参照
雑煮を元来は武家社会における料理であり、餅や野菜、乾燥食品などを一緒に煮込んだ野戦料理だったのではないかと考える説。この説によれば、正月に餅料理を食する慣習は古代より「歯固」の儀式と結び付いた形で存在しており、それと関連して発生した。雑煮は元は烹雑(ほうぞう)と呼ばれており、この料理が次第に武家社会において儀礼化していき、やがて一般庶民に普及したものとみられる。本膳料理においては初献に雑煮が出され、武家社会における饗宴には欠かす事のできないものであり、食事ではなく酒の肴として位置づけられていた。
なお、初献に続く二献・三献は酒礼の場で饗応され「式三献」と称されるが、本膳とは区別される。永禄11年(1568年)の『朝倉亭御成記』や年不詳『奉公覚悟之事』などによれば式三献は寝殿や主殿、雑煮以下は会所へ場所を移していることが記され、雑煮は式三献に含まれないとする説もある。
江戸時代、尾張藩を中心とした東海地方の諸藩では、武家の雑煮には餅菜(正月菜)と呼ばれる小松菜に近い在来の菜類(あいちの伝統野菜)のみを具とした。餅と菜を一緒に取り上げて食べるのが習わしで、「名(=菜)を持ち(=餅)上げる」という縁起担ぎだったという。なお、上記の習わしが武家社会一般の作法だったという説は、誤伝による俗説である。(この影響もあり、現在でも名古屋市周辺では餅と餅菜のみの雑煮が見られる)
また近世以前においては、「餅なし正月」と呼ばれる、正月三箇日に餅を神仏に供えたり食することを禁忌とする風習が、畑作地帯を中心として広く存在していた。畑作地帯とは、水田を作るには不適当であったため、米以外の作物で定畑や焼畑を行っていた地域である。これらの地域では、米およびそれを原料とする餅は自己の土地からは生み出されない外来の食物であり、神仏に土地の豊饒を願う儀式の場において、こうした外来の食物を用いることは禁忌であった。
畑作地帯では、蕎麦や里芋など自己の土地から産する作物を神仏に捧げ、またこうした食材を主体として雑煮などを作っていた。今日でも「餅を使わない雑煮」を作る地域には、かつてそうした餅食の禁忌があり、その痕跡が存したものではないかとも考えられている。
こうした風習に代わって餅を主体とする雑煮が全国的に広がっていく背景には、交通や情報伝達の発達もさることながら、石高制に基づく幕藩制による米の生産への政治的・経済的な圧力が畑作地帯を含めて加えられ、実際に灌漑設備の整備や新田開発によって、こうした地域も米作地帯に転換していった影響が大きいとされている。
構成
餅を入れたすまし仕立て、西日本では丸餅を茹で味噌仕立てにするのが一般的ではあるが、地方による違いがある。 また土地の特産物を入れるなど、地域ごとに特色がある。
地方による違い
* 海でとれた魚やその加工品を入れる
* のは、岩手県・富山県など海沿いの各地にある。一方、海から遠い山地では野菜を多く使用する。
* 岩手県の三陸海岸地方では、醤油仕立ての雑煮にクルミをすり潰して作ったタレを添え、このタレに雑煮餅をつけて食す。
* 宮城県の仙台雑煮は伊達藩の華やかさを残す雑煮で、「海の幸」「山の幸」をふんだんに使った豪華さで有名である。 松島湾で取れたはぜの焼き干しで出汁をとる。ダイコン・ニンジン・ゴボウの千切りを引き菜といい、これを冷凍しておく。昔は寒い冬の夜一晩中屋外に出して凍らせたという。それに凍み豆腐、からとり(里芋の茎を干したもの)、セリ、蒲鉾、はらこ等を入れる。餅は焼いた角餅で、醤油・塩・酒で調味する。
* 千葉県北部と茨城県の一部の下総雑煮は、角焼き餅を入れたすまし仕立てで、鶏肉・ダイコン・ニンジン・サトイモ・ゴボウ・コンニャク・青菜などを入れ具沢山である。東京の江戸雑煮は、具の種類にシイタケ・蒲鉾・鳴門巻きが加わるが、具は少なめで、茹でた小松菜と海苔をのせる。千葉県東部も、角焼き餅を入れたすまし仕立てだが、具はニンジンと油揚げの細切りを少々入れる程度で、ハバノリをたっぷりかけて食べる。
* 新潟県の越後雑煮は、日本海でとれた鮭の頭や身・はらこに、ダイコン・ニンジン・ゴボウ・長ネギ・コンニャク・銀杏などを入れ、切り餅を使った醤油仕立てののっぺい風の雑煮である。また、町おこしのためのイベントを開催する。
* 長野県の信州雑煮は、塩ブリを入れる。能登の塩ブリが飛騨高山を経て運ばれる。餅を茹でてから、ダイコン・ニンジン・サトイモ・ミツバを入れ、味噌仕立てにする。なお、長野県の佐久地方雑煮は、素焼きしたウグイの稚魚とセリと焼角餅を入れ、醤油仕立て。
* 愛知県の尾張雑煮は、削り節と醤油を合わせたすまし汁に、角餅と青菜(名古屋近辺では「餅菜」と呼ばれる小松菜によく似たもの、豊橋近辺では水菜)を入れて煮たあと削り節をかける。
* 京都の雑煮は、白味噌仕立てで、丸餅は焼かずに炊いておく。アワビ・ナマコ・ダイコン・親イモ・子イモ・コンブ・開きゴボウを入れる。コンブはヨロコブに通じ、親イモは出世、子イモは子孫繁栄、ダイコンは根を張って安定した生活、開きゴボウは開運を願っている。材料が溶け込みこってりと甘く、京雑煮独特の味である。
* 奈良県の雑煮は、白味噌仕立てで、サトイモ・ダイコン・豆腐を入れて白一色にする家庭と、ニンジンを加えて紅白にする家庭がある。関西の他府県と同様の丸餅であるが、焼いて入れるのは奈良独特である。さらに奈良県の雑煮を特徴付けるのは「きな粉雑煮」である。餅を汁から取り出して別皿のきな粉を絡めて食べる。多くの奈良県民には当たり前の食べ方であるので、例えば、寿司に醤油をつけて食べるのを敢えて「醤油寿司」と言わないのと同様、通常は「きな粉雑煮」とは呼ばず、単に「雑煮」と呼んでいる。
* 島根や鳥取の一部では、小豆汁に餅を入れた「小豆雑煮」。また出雲の広い範囲ですまし汁に十六島海苔など海苔を載せた雑煮を食べる。
* 広島では、牡蠣が入る事もある。餅は丸餅で焼かずに茹でる。
* 徳島県と高知県の県境にある祖谷山では、マイモ(サトイモの親芋)と豆腐だけが入ったイリコと昆布の出汁の澄まし汁を食べる。これはこの地では米が育たず餅が貴重品だった事に由来する。また、芋3つの上に、大きく切った豆腐を2つ十文字に重ねて載せるという特徴的な盛り付けをするが、これは平家が戦で刃を交えた様子を表しているといわれ、この見た目から『うちちがえ雑煮』と呼ばれていた。
* 香川県では、白みそに餡餅入りの雑煮。
* 福岡県とその近隣では、焼きアゴでダシを取り、カツオ菜(高菜の一種)や塩ブリ等が入った博多雑煮を食べる。栗の木の枝の先端だけを削った「栗はい箸」で食べるのが伝統。
* 長崎県長崎市では、焼きアゴダシのすまし仕立てで、焼いた丸餅、ブリ、鶏肉、かまぼこ、白菜、ニンジン、しいたけ、唐人菜(長崎白菜)またはカツオ菜など、具を必ず奇数にして入れる。島原市近隣では具雑煮といって、季節にかかわらず通年食べられる。
* 宮崎県では、しし肉入りの雑煮。
* 沖縄県には現在も正月に雑煮や餅を食べる風習はなく、祝時の汁物としてはイナムドゥチや中身汁がポピュラーである。しかし同じ琉球文化圏に属する鹿児島県奄美地方においては比較的普及している。
「博多なら塩ブリ入りの雑煮かな」
ハイジャン男