今日は、高島野十郎の作品紹介が続く。



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「雨 法隆寺塔」である。

1965年ごろの作品

この絵は、野十郎は晩年まで手放さなかったという。

晩年、柏市のアトリエで近所の手助けをしてくれる方にお礼に何か絵をあげたいと申し出て、この「雨 法隆寺塔」が欲しいと言われて、1度野十郎は断ったらしい。

しかし、この人の手に渡る。

この人の家に泥棒が入り、「雨 法隆寺塔」は盗難に遭う。

そして、何とこの方の家の床下に置き去りにされていた。

カビが生えていたが、奇跡的に修復された。

悲劇は、さらに続く。

この方の家が火事になり、「雨 法隆寺塔」は焼けてしまう。

幸いに煤を被ったものの、修復されて現在に至っている。

野十郎は、東大農学部水産学科を首席で卒業した。

将来を嘱望されていたにも拘らず、絵の道に進んだ。

野十郎の名前は、作品を通して永久に記憶されるが、例え高級官僚になっても、その名は永久には残ることはない。

野十郎の人生は、奔放で精神的に研ぎ澄まされたものであったに違いない。

野十郎は、自分の絵が百年、いや千年持つように、油絵を日に当てて耐久性テストを繰り返していたという。

そんな、堅固な絵であるからして、「雨 法隆寺塔」は、2度の災難に持ち堪えたのだろう。

「歳晩や描き続ける慈悲の雨」

ハイジャン男

法隆寺塔に降り注ぐ1本1本の雨に野十郎の慈悲が込められている。