空海の最終編である。Wikipediaより引用する。



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弘法大師

延喜21年(921年)10月27日、東寺長者観賢の奏上により、醍醐天皇から「弘法大師」の諡号が贈られた。

最初は「本覚大師」の諡号が贈られることになっていたが、「弘法利生(こうぼうりしょう)」の業績から、「弘法大師」の諡号が贈られることになった。

弘法大師は「空海」を越え、千年の時を越え、普遍化したイメージでもある。歴史上、天皇から下賜された大師号は全27名におよぶが、一般的に大師といえばほとんどの場合弘法大師を指す。空海を知らなくても「弘法さん」「お大師さん」を知る人は多いと言えるだろう。

真言宗では、宗祖空海を「大師」と崇敬し、その入定を死ではなく禅定に入っているものとする。高野山奥の院御廟で空海は今も生き続けていると信じ、「南無大師遍照金剛」の称呼によって宗祖への崇敬を確認するのである。ただし、大師の諡号を贈った立場の真言宗醍醐派、および醍醐派の系統を一部取り入れている智山派では、ときに「南無遍照金剛」と大師をつけずに呼ぶ場合がある。

故郷である四国において彼が山岳修行時代に遍歴した霊跡は、四国八十八箇所に代表されるような霊場として残り、それ以降霊場巡りは幅広く大衆の信仰を集めている。

「お大師さん秋の山々駆け巡る」

ハイジャン男